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2007年7月31日 (火)

ラグビー仲間 NO15

Photo_3ポジションと同じくフルバックの位置から翔洋コールに送られ、涙して引き上げる花園最後のシーンだ。ポジションはNO15フルバックのS太郎君だ。雄弁な彼は、事自分の事となると寡黙な男になり”ケガ、疲労”を隠してがんばり続けたが遂に県大会前にダウンした。

彼は頭の回転の速い子で機転が効いて、試合中に色んな技を繰り出して創造性豊かな動きをする。失敗して笑いを誘うが、最後まで本人の思想を貫いた事は立派でチーム一番クリエイティブな選手だ。

なによりもドラムをやっているという事であんぷおやじが一番親近感を持てた。パラパラがどんな音楽だか知らないが、音楽共通の最高の状態を体験しながら、最後はJAZZに向いてくはずだ。その時はあんぷおやじの店にきたまえ。おやじ殿には随分お世話になっている。カラオケの師範で、生涯カラオケなど歌うまいと決めていたが、ついおやじ殿の誘いに乗ってしまった!

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バードランド 2

Photo_7 やられた!ラストラブに登場するバードランドは日活撮影所内に忠実に再現された映画のセットだった。

前に書いたが ”あのくすぶったバードランドがおしゃれなJAZZクラブに変身していた” この感覚は正解でニューヨークの本物バードランドは歴史の”くすぶり”がそのままなのだ。本物を見てきてJAZZとそこの空気を感じたら映画のセットからは重みが感じられず  ”おしゃれなJAZZ...”と感じた訳だ。Photo_6

バードランド入り口の言葉 ”Birdland, The Jazz Corner of the World” Charlie Parkerでチャーリー.パーカーのあだ名からバードランドと付いた。

チャーリー.パーカーのあだ名がなんで”バード”かって、そりゃあチキンを食べ過ぎたのさ。

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ラグビー仲間 NO2

Photo_5 学校へ寄贈した絵の中で唯一ゼッケンが入ったNO2フッカーのK太君だ。スローワーの目立つポジションとフォワードの顔で見事に大役を果たした。

1番君、3番君はどちらかと言うと無表情なフォワードフロントにあって、体は小柄だがみなぎる闘志であの仰星戦でも臆する事無く、怯む事無く相手にプレッシャーを掛け続けた。

不撓不屈の精神力は父親譲りか?ケガの少ないK太君とはあまり会話をする機会が無かったが、それだけ彼の安定度が高かったのだろう。

仰星戦でラインアウト100%とは凄い事で相手は2本も失敗していた。真面目な努力家が遂に報われた瞬間だった。勝つ負けるは表面的な結果だが、本人が掲げた目標を達成できたという事は勝利者なのだ、よって2006年組は個々の目標達成で勝利したのだ。

おまけ!K太君の腕は太くしておいた。

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ラグビー仲間 NO11

Photoいつもニコニコ元気印のGちゃんで、TV解説者から当たりが強いウイングと評された。ポジションはNO11パワフルなWTBだ。大学ラグビーで初めてケガをしたくらい高校では無傷でタフだった。

彼が偉いのは”辛い、大変さ”を決して顔には出さず率先してみんなの笑いを誘う、みんなの為に的行動でラグビースピリツトそのものだ。

ラグビーは格闘技だから時々格闘になる時があり、審判のホイッスルで”まて!”が入る。すかさず相手の選手をフォローして”まあまあ”となだめる役で感心する。カッカしている時に沈着冷静でいられる彼は凄いと思う。時々うるさいあんぷおやじが声を掛けても、目一杯の愛嬌で応対してくれて感謝だったね。

ご両親には大変お世話になった。Gちゃんお母さんの度々に渡るお誘いで遂には重い腰を上げ応援に出向くようになった。本人が”応援に来なくてもいい”と言うし、団塊の世代には子供のクラブの応援に行くセンスが無かった。おやじ殿のビデオは今になれば宝物だ。2006年組の親達は擦り切れんばかり見ているが、時々入るおやじ殿の解説には思わずふきだす。

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2007年7月30日 (月)

ラグビー仲間 NO6

Photo_4ポーズを決めるチーム一の哲学者、O路君だ。ポジションはNO6フランカーだ。試合中の彼は時々哲学者の様な思慮深き表情をする事が多く、勝手にあんぷおやじが哲学者と決めた。3年初めの頃は監督に厳しく叱責され一番大変だったが、その監督の期待に答えて大いなる変身を遂げ花園では大活躍した。

印象的な話を2つ。東海選抜だったかな、ケガで途中退場する時、天を仰いで”ウー”と声をあげ悔しさを表現した。この時、あ!彼は素直な良い子だなと思った。

もう一つは練習が終わったある時、目を真っ赤にした彼に思わず声を掛けたら、”いつもこんなです”と怒られ続けた自分へ叱咤激励と明日へ希望で複雑な表情をしたのが忘れられない。うるさい追っかけおじさん、あんぷおやじの問いかけに何時もきちんと対応してくれた、あの若さで目配り、気配りの出来るナイスガイだ。

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2007年7月29日 (日)

ラグビー仲間 NO8

PhotoTV解説者からチーム一番の元気者と評されたGTIジュニア君でポジションはNO8だ。気が優しく陽気な彼はあんぷおやじの事を心配してくれて”毎日練習見にくるけど失業中?”心配ご無用、当時も今も、連日睡眠時間4時間くらいで夜中に開発仕事をしている。

センシティブな彼はH工業に負けた夢を見たとか、で決勝戦ではH工業ではなかったが、闘争心むき出しで戦って、普段の気の優しさは影を潜めすごかった。

花園ではリスタートノックオンでみんなを笑わせたかと思うと、ノーホイッスルトライで独走、周囲を唖然とさせた。

大学は体育学部でラグビーも続けしっかり将来の目標を持った好青年だ。全国からスタープレーアが集まった大学ラグビーだが君ならきっと出来るがんばれ!画像は1年前、菅平での仰星との練習風景で監督も写っていてあんぷおやじが勝手に傑作写真に決めている。

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ブラジル紀行 3

Photo_3サンパウロの空港で飛行機がオーバーランして大きな事故になったが、これはローカル線の空港で国際線ではない。サンパウロ空港へ到着して直ぐに街中へ見学に出向いた。本当は25時間のフライトで疲労困憊していたが。

大きな市場に行った。画像の様にほとんど知らない果物のオンパレードで、なぜか子供の頃夢中になって読んだ船乗りシンドバットの首に巻きついた老人がとる果物の事を思い出した。

良い時代になったもので見たことが無いものが見れるようになった。経験した分、想像空想力は減衰するのかも知れない。

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2007年7月28日 (土)

JAZZ喫茶ベイシーの椅子 2

Photo続きだが張り替えが完了して打ち上げをした時の店内写真も送られてきた。たしかこの時はケイコ.リーのライブもやっているはずだ。破れ椅子時代は味がありなかなか良かったが、新調なった店内は随分格調高いね。

手紙には7月28日に最新のJBLスピーカをマスターのシステムでドライブする事になっているとあった。最新と言う事はエベレストDD66000RWだね。2本で660万円もする。

更に文面は続き、今年の夏はJBLのご招待でベイシー家族3人はアメリカへ出かけてしまい、JAZZ喫茶の方はお休みが多いので注意されたしとあった。

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JAZZ喫茶ベイシーの椅子

Photo_6赤坂西法律事務所の鍋谷弁護士が一関JAZZ喫茶ベイシーの椅子張り替えを企てた人物で、論より証拠の写真を送ってきた。撮影は写真も本職のマスター菅原さんだ。感謝!あまりにも立派でたまげた。

張り替えてから丁度ゴタゴタになり行く機会が無く今日に至るが、今年は行けそうだ。権利は訪れた時誰かが座っていたら、どいてもらう事ができるのだ。あんぷおやじはJAZZミュージシャンにアート.ペッパーを選んだ。

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2007年7月27日 (金)

ラグビー仲間 NO12

Photo_3昨年のラグビー静岡県大会決勝戦で優勝した後の表彰式の画像でGTIさんに頂いた。11月19日は雨降る寒い中、寒さと興奮で手が振るえ、撮った写真はほとんどがぶれてしまい残っていないのが残念!

この二人が大学でも同じ学部へ行き、他にも多くのラグビー仲間が同じ大学に進学した。

二人ともケガで普段の半分くらいの力しか出せなかったが、その分気持ちで補っていた。隣のS君は最近まで医者通いをしている位重症で、足のサポータが痛々しい、その後の花園でもS君はケガにめげずに素晴らしい活躍を見せた。

S君のポジションはNO12で快速CTBだ。仰星戦では高校全日本選手にダメージを与えた後、彼が集中攻撃を受け意識朦朧になっても前に進む姿は実に感動的だった。一方我が家の子供は準決勝で遂に疲労骨折で足の甲が折れた。決戦前に医者へ飛び込み痛み止めを打っての決勝戦だった。

優勝の喜びなど何処にも無く花園へ行ける安堵の表情で、常勝軍団の大いなるプレッシャーなのだ。二人とも綺麗さっぱりラグビーから足を洗い勉強にがんばっている。

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ベイシーのJBLアンプ

Photo_3 ベイシーのアンプはJBLの骨董的なアンプでPチャンのゲルマニュウムトランジスターアンプ、マイナス電源と思っていたが、よくよく見るとSE400SとなっていてSはどうやらシリコントランジスターのSで最古の物ではない。

画像のアンプはベイシーのアンプラックに入っていたものではなくピアノの上に置いてあった物で機種が分からない。

SE408Sのようにスピーカ組み込み構造になっているがモノラルだ。宮大工が作った野口コレクションのレコード棚にもSE400Sが陳列してありベイシーはJBLアンプだらけだ。

ベイシーマスターの功績でJBLの古いアンプの価格は下がらず、むしろプレミアム付きになっているようだ。

勿論弁護士先生も同じJBLアンプ。

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2007年7月21日 (土)

JBL 4550BK

211ALTEC 211の国産箱だ。何時もスピーカ箱をお願いしているタテマツ音工さんの製品画像をお借りした。オリジナルはグレーでとても家庭に持ち込むには....しかしこれがALTEC党にとっては本命で欲しかったが、横幅が2m以上もありオーディルームに設置できず断念した。

Jblその代替でJBL4550BKを手に入れた。BKでBKAで無いとこが素晴らしい。オールホーンはやはり良いね。celloのパフォーマンスで長い間鳴らしたが、駆動力が凄まじく箱の補強を余儀なくされて現在の格好になった。

こうゆう古い物は宝だ!作者の思いが込められる時代の傑作で、合理性、利便性などはどうでも良く、コンピュータで作られたハイテクと違い潤いに満ち満ちている。家族は眉をしかめただの大型ゴミのように言うが。

横型のホーンを立てたため全高は2.5mくらいになり、1003Bホーンのデッドニング作業時に落っこちた事がある。命がけと言うが趣味如きに命は掛けられない、が時々そうゆう事態になる。

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2007年7月14日 (土)

サンフランシスコベイブルース 12

Photo_315 思い出のサンフランシスコの歌詞に”To be where little cable cars ”リトゥル.ケーブルカーとある。これがなんでケーブルカーなのか見た時は分からなかった。

レールとレールの中央にあるにある地下ケーブル(画像で3本あるレールの真ん中)をくわえたり離したりして動いていたのだ、後で調べて分かった。確かに坂がきついのでケーブルカーでなければ無理だ。フィッシャーマンズワーフ近くで方向転換するが、人力でやっていたのが滑稽だった。

レンタカーでブリッドの如くジャンプしながら坂を転げ落ちるように走るのだが、このケーブルカーのレールに乗ると滑ってあわやという事もよくあった。坂も多くLAに比べたら雨も降り、霧も出て結構四季っぽい感じが日本人に好まれる所以だ。

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2007年7月12日 (木)

マン島TTレースとRC165

Photo_314次男がバイクのチューニングをやっていて、DUCATI 900 SUPER SPORTを一休さんのお店で見た。国産車にはない魅力があり乗ってみたいと思うが免許がない。先日ドカティの250ccオールドモデルの写真を見てから過去に遡るタイムマシンに乗ってしまった。

Honnda子供の頃少年マガジンをにぎわしていたのがマン島で活躍するホンダのレーシングマシンで夢中になって見ていた。それ以来”2輪のホンダ”のファンになった。

1961年はホンダがマン島TTレースで優勝した年だ。レーシングマシンは125cc2気筒4バルブの2RC143だ。少年マガジンのグラビアにたしか6気筒も載っていたはずだ。6本のマフラーは強烈でしっかり記憶に残っていたが排気量その他のスペックは忘れてしまった。

6気筒のデータとそれを操るマイク.ヘイルウッドの写真が出てきた。レーシングマシンは250ccで6気筒4バルブRC165で1964年に登場した。やっぱりそうか、中学の頃少年マガジンで見ていたのだ。250÷6=42cc、1気筒あたり42ccで4バルブ、だから組み立て時にバルブをピンセットで掴んでいたのだ。回転数は18000rpmで1秒間に300回転、4ストだから1秒間に150回爆発している。凄いね!その後125cc5気筒20000rpmも登場した。

マイク.ヘイルウッドの写真からハングオンスタイルで強烈にコーナーを攻めている様子が分かる。今ではさらに腰を落としこんでコーナーを回るが当時としたら画期的なドライビングテクニックだった。その天才ライダーが一般道での交通事故で亡くなったのは皮肉な事だ。

日本には世界に誇れる独自の技術がたくさんある。それが我等が静岡県から多数出ている事も誇りだ。ジョン.サーティーズのF1もそうだがホンダは凄い事を次々にやってのけた。

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2007年7月10日 (火)

ビレッジバンガード 4

Do随分遅い時間に、ラストステージの途中からビレッジバンガードに入った。いつもなら25ドルは取られるがこの時は遅い分おまけしてくれて12ドルだった。

アルトの巨匠ルードナルドソンが出演していて良いものが聴けた。イオスのストロボ無しはこうゆう鈍い写真になる。その点ニコンのFM2はストロボ無しでも切れの良い写真が撮れる。

ステージ終了後”ナイス.パフォーマンス”とドナルドソンに声を掛けると”サンキュー”と言って握手してくれた。JAZZ史に残るミュージシャンに会えた時は握手をしておこう、次に会えるチャンスがあるかどうかは分からない。

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2007年7月 5日 (木)

ビレッジバンガード 3

Photo_305 これがビレッジバンガードの歴史ある扉だ。あのコルトレーンがマイルスがエバンスがこの扉を開けたかと思うと、手に脂汗がにじみ思わずズボンで手を拭いて開けた。

そして地下へと降りていく。この地下への階段でエバンス、ラファロ、モチアンの写真が撮られてレコードに載っていた。地下入り口でチャージを25ドル程支払う。

最初に行った時この古ぼけた扉を見て勝手にそう決めた...

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2007年7月 4日 (水)

ツインタワー

Photo_301ここの所ニューヨークづいている。ラストラブで最新のニューヨークを見てしまったら行きたくなった。画像は自由の女神像のリバティ島から見たマンハッタンで世界貿易センターがこの様に大きく見えていた。 Photo_302

デザインの良し悪しの感じ方は、個人差がありお好きにどうぞだが、この4角のツインタワーは優れものだ。celloのパフォーマンスもそうだが4角は誰でも4角なのだが、縦横の比率でやぼったくも美しくもなり実は難しい4角なのだ。

ゴテゴテせずにシンプルで美しい今は無きツインタワーだ。

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