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2007年9月29日 (土)

花園回想 NO8

Tuyosi奈良の練習場に着くと、時既に遅しで片付けの最中だった。空はどんより曇り小雪が舞い明日の仰星戦を占うかのような風雲急を告げる空模様だ。春日神社、東大寺を見て街中に出向くとマネージャー3姉妹に会い、何かを買ってあげたな。

県大会決勝では相手ディフェンスを何度となく切り開き、その走る姿は”GTIおやじ”にそっくりで、心熱き、心優しきラガーマンだ。

土佐塾戦のtuyosiは、ラグビー部の語り草になるほどの縦横無尽な活躍を見せて周囲をあっ!と言わせた。

12月30日いよいよ仰星戦だ。控え室で全員が悔いの無い試合を誓い合い、涙してグランドに登場した姿を、遠方に陣取った応援団は知る由もなかった。ホイッスル前にtuyosiが仰星チームを指差し戦いを挑む姿が印象的だった。フォワード平均体重20kg差は常識的に考えても、非常識的に考えても試合にならないはずだが、”熱き心は技術も運動能力も全てを越え”見事な戦いを見せた。

その熱き心の牽引者がtuyosiだった。大丈夫!tuyosi!

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2007年9月28日 (金)

花園回想 NO2

Kouta大阪都ホテル残留組は土佐塾戦勝利のあと、京都観光にしようかどうしようか思案に暮れたが結局、奈良の子供達を応援に行くことにした。”しらすおやじ”は前日の飲みすぎが祟ったのか起きてこない。流石に明日対戦の何時もの仰星グラウンドとゆう訳には行かず奈良の公共グラウンドだった。

そう大きくない体格で本当にラグビーをやっていけるかどうかで相当悩んだのだろう。だが本人の血のにじむような努力、最強の指導陣、ご両親の支え、周りの良き仲間達の協力により素晴らしいNO2フッカーに成長した。

土佐塾戦ではジャンパーとの呼吸が合わなかったり、大勝はしたがkoutaとしたら納得出来ない試合だった。

それが一変した!仰星戦での相手は高校全日本で名前の轟いた最強のフッカーM川君だ。体重差20Kgでは常識的に考えてスクラムにならない、試合にならないが普通の見方だ。所が蓋を開けたたらスクラムになっている。koutaの絶妙なコントロールと、なんたって負けん気の顔だ!相手の高校全日本N川君もN田君も体は大きいが気持の優しい選手だ。多分koutaのその気迫に押されてスクラムになったのだろう。

ラインアウトの結果はなんとM川君が2本失敗、koutaは100%成功、劇的な答えとはこうゆう事をいうのだろう。試合に負けて自分に勝って最高のラストシーンでもうラグビーに何も思い残す事はない。これで良い!

先日大学で会ったら、チャ髪ですらっとおしゃれなシティボーイに変身していた。相変わらず会長をやって頂いているkoutaの父君殿”ちゃあおやじ”は盛んにガールフレンドの事を心配していたが....

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2007年9月27日 (木)

花園回想 NO11

Photo昨日のワールドカップラグビーカナダ戦は引き分けで実に残念!アナウンサーが突然翔洋中学のラグビー部について話し始め吉田先生の名前が登場した時はたまげた。

ノックオントライでショックなgenは”ハムおやじ”(ハムとは無線の事)と美人湯へ行き、サウナで悔し涙にブルブル震えていると、その盛り上がった筋肉にまわりのおじさん達が怖くなり1人、2人、とサウナから消えた...

前年の花園では先発に選ばれながら良い所無しの、悔いが残る花園だった。やさしいご両親に育てられたgenは人一倍やさしく、思いやりのある子供に育った。そのやさしい子が”真のやさしさ all for one one for all”に目覚めた時、大いなる変身を遂げる。幾多の仲間の血のにじむようなパスを受けとったらみんなの為に必ずトライを取る!

画像は花園で心のやさしかった子供が大いなる成長を遂げたgenの大きな々ステップだ!

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2007年9月26日 (水)

花園回想 壮絶NO12

Seiyaラグビー話が続くがラグビーはアンプと同義で御容赦。

飯田遠征でじん帯損傷し、今期絶望かと思わせるほどのダメージをご両親の必死さで県大会決勝には間に合わせた。

もし..は禁句だがじん帯損傷が無ければあのインターセプトで俊足seiyaはトライを取っていただろう。がしかし現実は完全復帰でない状態で本人もがんばり、また承知のみんながseiyaの補間をして名勝負になった。

seiyaの強烈な前進に全日本のスタンドオフがはじき飛ばされ頬骨にひびが入った。そのせいかどうか知らないがseiyaに対するプレッシャーは強烈になり、画像が極めつけだ。ハイタックルだ!ヘッドキャップが吹っ飛ぶ!その後のseiyaは意識朦朧、手はボールのように膨れそれでも前に進もうとする壮絶な姿に、あんぷおやじはどんな哲学書より意味深く、どんな倫理書よりも重く感じた。

大学ではきれいさっぱりラグビーから足を洗い、チャ髪になり哲学書は何処かへいってしまって”しらすおやじ”を心配させているがそれで良い。完全燃焼だ!

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本多監督新聞記事

Honda1うれしいニュースが飛び込んできた。9月25日静岡新聞17面に本多監督の記事が掲載された。見事国体出場を決めた成果によるものだ。

ラグビー不毛の静岡にあり監督は他校の生徒にも惜しげもなくノウハウを伝授している。大阪の高校のように小学校、中学校からラグビーをやっていてその子供達を教えるのとは訳が違う。

サッカー、野球、今年は美術部もいる、その子供達を2年半位で一人前にしなければならない。企業だって研修期間だから成果を求めない。しかし高校ラグビーではその期間で成果を出さなければならない。

スポーツマンは体育会系=豪快と来るが、監督は違う、繊細さ、緻密さを持ち合わせて気働きに感心してしまう。緻密さ、繊細さを豪快な表皮で覆ったと形容しよう。この先もホンダイズムに目が離せない!

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2007年9月25日 (火)

花園回想 NO6

Hanazono1観客席に居たあんぷおやじはこのポジションでの写真は絶対に撮れない。新聞記者さんが提供してくれたもので相当枚数ある。場内放送では望遠での写真撮影を禁止するアナウンスが流れて、ましてやグランドに降りれっこない。貴重な写真で感謝!

画像は土佐塾戦だ。teruがボール持って猛然とダッシュした、早い!フォローにtuyosiとkeisukeがつく。3人ともフォワードで重量はないが軽い分早く走れる。

あれだけ監督に厳しく叱責されていたteruは、もうこの時なみだ目のteruではなくチームを引っ張る名フランカーになっていた。記念すべき花園ファーストトライはteruがゴールライン寸前まで独走。

片手で手を伸ばしさえすれば届いたはずを、ボールを後方へ置いて後のdaikiに託した。恵まれた家庭で育って、頭ごなしに叱られるなんてなかったのだろう。その未完成な精神がズタズタになるほどの厳しさに耐えて成長したteruの思慮のこもった”そっと後方へボールを置いた”が2006年組の全てを表し、意味深く忘れられないシーンだ!

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2007年9月19日 (水)

ラグビーの聖地

Kumagaya2花園ラグビー場が西の聖地ならば熊谷ラグビー場が東の聖地だ。2006年組が遂に東の聖地に降り立つ!

子供達のほとんどがラグビーを引退しそれぞれの道に進んでいるが”まだ々引退できないのが2006年組父母達”だ。多分ラグビー部歴史上かってない不思議現象なのだろう。実態は高齢化社会に突入する中で”ラグビー”とゆう共通項で結束した模範的生き甲斐模索集団なのだ。

Kumagaya1熊谷ラグビー場にはラグビー選抜出場校とその登録選手の名前がプレートに刻まれ、歴史を積み重ねている。2006年組は、2006年4月3日、4日と2試合戦い1回戦はプレート左の下伊那農業高校と対戦し快勝した。2回戦はプレート右、この選抜で優勝した兄弟校東海大仰星高校と対戦して完敗した。

このプレートで始まり、結末は公式戦無敗を誇る最強の濃紺軍団で花園でも優勝した兄弟校東海大仰星高校に、2回戦でこの年2度目の対戦した。仰星のD井監督に”こんな翔洋は見たこと無い!”と言わしめたラグビー部史上最高の試合で歴史を閉じた。

その兄弟校2校から多くの選手が東海大へ進学した。その彼らが2年後、3年後には東海大を最強のラグビー校にする事であろう。

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2007年9月18日 (火)

がんばれtuyosi!

Thuyosi2006年組一番の陽気な元気者が大学ラグビーの厚い壁に阻まれている。この暑い中少しでも成長させようと頑張り過ぎて倒れ、救急車で病院へ担ぎ込まれた。そのせいで少々落ち込んでいるようだ。

なあtuyosi君! 結果を急ぎ過ぎるな。高校全日本がごろごろ居る様な中で彼らとがっぷり四つは無理だ。そこで大事な事だが、(この事は社会でも同じ)他人にない技を発明する事だ、君自身の特長を最大限に生かした技だ。体力はリーチ君ほど無いが、両親譲りの明晰な頭脳があり、五感のセンシング能力は決してジョシュア君にも負けないと思う。倒れるほど練習にがんばれる根性があるのだから、倒れるほど考えてごらん、必ず何かが見つかる。

生きる上での達成感はどれだけ高い目標を持てるかできまる訳だから、目標が高ければ実現できなくても納得は出来る。それと一度決めた目標はその時実現できなくても何時かは実現する。その時がラグビーを引退してからでも意味ある事なのだ。

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2007年9月16日 (日)

飯田ラグビーフェスティバル

Iida2006年組飯田ラグビーフェスティバル参加メンバーで今年も似たようなメンバーで飯田へ出かける。

信州飯田は下伊那地方で小京都と言われている位文化的な町で、前衛で難解な詩人の日夏耿之介、日本画家の菱田春草などの多くの文化人を輩出している。元々貧しい農村にあっては教育こそが人々を豊かにする原点と心得、日本でも有数の教育県になった。

対戦相手である飯田高校は飯田高松高校と言われた名門の進学校だ。その他下伊那農業、飯田長姫との試合が予定されているそうだ。

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2007年9月 8日 (土)

小型スピーカ スキャンスピーク

Sp神楽坂にあるイディオの飯田さんは小型スピーカの権威者だ。彼が相当投資をして大方の見当を付けてくれているので後追いは楽だ。それでも相当買い込んで検討したが、スキャンスピークとオーディオテクノロジー(スカーニング)になった。後者は暇な時のんびり扱うとして、とりあえずスキャンスピークで小型スピーカを作った。

緻密で情報量が多く凄いスピーカで、このサイズでスケール感も十分にありたまげる。ツイータがD9700、ウーファが15W/8538K-00だ。難点はユニットが高く商品化した時に何を持って優位性を出すかで行き詰った。

そんな訳でずーとお蔵入りしていたものを、思い切ってウーファを6dBカットだけに単純化したらこれが案外良くて暫くはこの状態で聴くことにした。

それにしてもクラッシックは白眉だね。

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2007年9月 7日 (金)

飯田 2006 2

Tag飯田2006会場前で美女軍団の記念撮影だ。もうこの年になると人生の荒波をくぐり抜けみんないい顔をしているし、これ以上年をとらないようにさえ思う。

この陽気さは、この先訪れる様々な困難が全く想像できないね!でもさ、花園2回戦で全て帰結する訳だからまあいいか。

今年もこのメンバーの大半が大型バスをチャーターして飯田を訪れる。驚くなよ日夏耿之介殿!驚くなよ菱田春草殿!

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飯田 2006

Rug飯田ラグビーフェスティバル2006だ!早いもので1年が過ぎようとしている。この時を境にけが人が続出して県大会まで大ピンチとなった。

この子供達が偉いのは、大ピンチで良い結果が出ずとも不平不満を言わずにただひたすら練習に励んだ事だ。我々は苦労困難が怒涛の如く押し寄せると、つい他人のせいにして逃げたりする。

不遇の時こそ”みんなで力を合わせてがんばれ”と改めて子供達から教わったような気がする。

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2007年9月 6日 (木)

SAE MODEL2600修理 2

Photo_2SAE MODEL2600の電圧増幅段をkouhei君がスケッチした。彼はn高専の1年生だが最初に差動増幅、対称増幅などオーディオで一番多く使われている回路を学習する。OPAMPは学校の授業で十分だが、ディスクリートのハイゲインアンプ(40db~60db)は授業にもでないだろうから、それを作ればアンプが何かすぐ理解できる。

Sae この3台はそれぞれトラブルを抱えていて修理した跡が見える。随分無造作な修理で、破壊したモトローラのトランジスターの所へ国産のトランジスターが付いている。こうゆう修理ではガラッと音が変ってしまい持ち主は大いに困ったはずだ。

修理は頭の良い人間でないと難しい、理由は”カンとヒラメキ”要するに感性が鋭くないと相手の気持(設計者の心)を読み込み推論する事ができない。修理の方が開発より身分が低い社会構成だが、優秀な修理屋を開発へ据えてみなさい、たまげるに経営者!

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2007年9月 4日 (火)

サンフランシスコ ベイブルース了

Bei22ステージ目、サンフランシスコの夜景が実に美しい時間帯だ。まあ白人のJAZZだからスイングしないのか、現代JAZZはスイングしないのか分からないが、いまいち乗れないね!

ボーランドジャパンの社長とソフトの責任者、我が方はソフト責任者にあんぷおやじでデータベースのParadoxがネットワーク上で動作する、最新ソフトの開発現場を見学にサンフランシスコ空港近くの”マンション”へ出かけた。

この事は実に意味深く、世界を揺るがす最新のソフトがマンションの一室で開発されている事実!そして2人いたが、この人達はどうゆう開発者なのだろうか?

よくある話だが、立会いとか何んかで開発中の物を見せる時、突然さっきまで動作していたものが動かなくなる。そんな訳で動いている所が見学できず、ボーランドジャパンの社長は実にバツが悪そうであった。

C++の威力、開発現場の様々、後のあんぷおやじの開発姿勢に多大な影響を及ぼし、ICの原点フィアチャイルド社跡を見、人生を変えたインテル4004誕生の地で仕事ができた喜び、更に遡りウイリアム.ショックレーの故郷シリコンバレーに降り立った事実、ビル.エバンスの幻影を追い求め、見えたか見えなかったか、サンフランシスコ ベイブルース話はひとまず終了。

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サンフランシスコ ベイブルース17

Beiサンフランシスコダウンタウンは完全な夜景に変った。メンバーはテナーサックスにウッドベース、ドラムス、キーボードはシンセサイザーだ。それにギブソンギターES-330に見えたが。レストランだから軽いJAZZで気楽に聞ける。

サンノゼから南下する事小一時間で、スコッツバレーに到着だ。バレーと言うだけあって山の中の谷あいそのものだ。素晴らしい環境の中ボーランド社があった。

広報官は若い美人で我社のソフト責任者はそれだけで偉くご機嫌になり、慣れない英語を駆使して喋り捲っていた。ボーランド社はフランス人のフィリップ.カーンにより創設された言語系の会社でOSは無かった。フィリップ.カーンはフルート奏者でそれだけで音楽好きのあんぷおやじはファンになってしまう。

チーフエンジニアクラスは各個室が与えられ、そこで仕事をする訳だが必ず入り口のドアは開いていて、これがアメリカ流と理解した。オブジェクト指向のC++のデモンストレーションは、衝撃的な内容でまさに言語革命であった。そのC++の責任者はアルフレッド.チャオで中国人だった。続く。

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2007年9月 3日 (月)

SAE MODEL2600修理 1

Sae1訳あってSAE MODEL2600の修理を開始した。それも3台だ!状況を逐次報告する事にしよう。SAEでお困りの方はご参考に。ジェームス.ボンジョルノはGASをはじめSUMOなど、見るからに豪快に見える性格だが回路を追うと中々緻密な業師だ。しかしSAE2600は電圧ドライブ段になんと±100Vも掛けてやはり豪快だ。

弟子のkouhei君が回路の実態配置図を図面に落とし、それから回路図をあんぷおやじが起こす。こんな分業でスタートした。

Sae2電圧ドライブ段の基板で、帰還回路に大きな電解コンデンサが入り全体は交流アンプである事が分かる。部品はたまげるほどお粗末、まあ電解コンは寿命の事もあり交換だが、これが難しく、例えばOSコンなんかが最適だが音がきれいになりすぎる。ボンジョルノのえげつなさを残しながらの修理で難しくも面倒でもあるが、それを楽しむ。

なんせ若旦那が高校生の時使っていて(高校生でこのアンプ、考えられない)音については熟知しているので、きれいになり過ぎたら、まて!のジャッジが入る。若旦那の弁”これほどJAZZに向いたアンプは他にはない!”

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