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2007年10月30日 (火)

花園回想 フィールドドリーム賞

Drm51校中3校が表彰の対象で見事に受賞した。にわか仕込みにしては上出来でチームワークの良さがここでも発揮された。

画像はイメージガールの入船加澄実さんからフィールドドリーム賞の楯を受け取るryouキャップテンだ。周りのラガーマンのうらやましそうな視線が....

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花園回想 親達の群像 NO12

Sirasu昨年新人戦より応援に行き2006年組の皆さんに会う事になるが、あんぷおやじが一番年上かと思ったら、まだ上がいた?その時はそう思ったが、残念!やはりあんぷおやじが最年長だった。

その年上に見えた人物がNO12,seiyaの父君”しらすおやじ”だった。純粋で無骨、頑固者、それでいて愛嬌がありみんなに好かれる兄貴分だ。飲むと漁の話に良くなるが、自然との闘いで人間の無力さを良く承知して考え方の奥が深い。

NO12,seiyaのおかんが翔洋ラグビー部父母会にseiyaのケガの事で投稿した内容をあんぷおやじのファイルに保管してあり本人の許可は得ていないが、公開済み文章とゆう事で胸打つ内容を全文掲載する。

『息子の怪我のことでは、皆さんに大変心配いただきありがとうございます。結果なんですが、あまりいい報告とはいえないのですが、前十字と内側のじん帯が切れていました。でもどうしてもやりたいならやってもいい、ということなのでまずはオッケーということで.....後は、息子がどれだけがんばってくれるかだけです。切羽詰ればがんばってくれると信じて(母の願い)います。』

今振り返ると相当な重傷で県大会から花園は絶望的だったのだ。治療はまま成らないがとうとう試合の時期を迎え、親の献身的な努力とseiyaの強き意思で県大会準決勝から試合に出た。じん帯が切れたままで花園を戦い、あれだけの活躍は2006年組の奇跡の一つだ。その後手術し直るまでに数ヶ月を要した。

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2007年10月29日 (月)

花園回想 ラグビーの心

2006花園の地に降り立つには資格がいる。残念ながら強ければ良いとゆうものでもない。強さ(力)=正義と捉えがちだが、結局どこかで破綻する。少なくとも高校生のスポーツなんだから一番大事な正しき思想(心)を学んだ選手のみ出場が許されるのだ。だから強いだけで出場した選手達は真の意味での出場にはならないのだ。

東海大には世界に誇れる思想がある。建学の精神:ホームページより抜粋

”創立者松前重義は、青年時代に「人生いかに生きるべきか」について思い悩み、内村鑑三の研究会を訪ね、その思想に深く感銘を受けるようになりました。特にデンマークの教育による国づくりの歴史に啓発され、生涯を教育に捧げようと決意して「望星学塾」を開設しました。ここに東海大学の学園の原点があります。

創立者松前はこの「望星学塾」に次の四つの言葉を掲げました。

Kokoroここでは、身体を鍛え、知能を磨くとともに、人間、社会、自然、歴史、世界等に対する幅広い視野をもって、一人ひとりが人生の基盤となる思想を培い、人生の意義について共に考えつつ希望の星に向かって生きていこうと語りかけています。....ここまで抜粋”

東海大付属翔洋高校ラグビー部はこの様な恵まれた”思想”の元で部活に励めるのだから選手、関係者は感謝すべきなんだろう。

あんぷおやじの私的な話だが...子供がラグビーで苦しんでいる時”花園に必ず行かなくても良いんだよ、それより君が大事な何かをつかめばいいんだ”と言ったことがある。ラグビーフリークには非難されそうな発言だが、その時も今もそう思っている。本人は”花園に行きたい”と言うから”じゃあがんばるしかないね”とこの件は決着した。

往々にして本質でない所に目がいきがちで目的を見失う事も多いし、僅か3年で今までの教育も覆さなければいけない事もあるので無理は承知で言うが、折角素晴らしきラグビーに係わり合いを持ったのだから少しでもその”心”が理解出来なかったら、仮に花園に出場したとしても後の人生で損だ!

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2007年10月28日 (日)

花園回想 親達の群像 NO11

No112006年組は素晴らしくチームワークが良い、親達の事だが。勿論子供達のチームワークはいうまでもない。子供は親のコピー的な要素を多く持っているので、子供のポジションがほとんど親にも当てはまり実に適材適所の親達のポジショニングだ。

本日はNO11快速ウイングgenの父君”ハムおやじ”の登場だ。FET(電界効果型トランジスター)の事をフェットと呼べる人間はあんぷおやじと同族だね。マイクロ波通信機の高周波アンプ専門家で、それらの設置調整で世界中を飛び回ってきた。人の良さでは人後に落ちず、涙もろき熱血漢だ!

ビデオ取材班の責任者で、試合中はビデオ撮影でファインダー越しに見ている事になり遂に落ち着いて試合を見ることはなかった。画像の花園でようやく開放され思う存分息子の活躍を自分の目で見ることが出来た。

論より証拠とは良く言ったもので”ノッコン、え!”とか怒りを押し殺して”すみませーん、見えないのですが”とかハムおやじ語録が膨大な量のビデオと一緒に記録され逃げようがない。何よりも感謝は2006年組皆の為に猛暑の中、寒風の中、嵐の中、ひたすらビデオを回し続けてくれた事だ。

そして、それは何物にも換え難い”宝物”になった!

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サウンドラボ A1スピーカ

A1コンデンサスピーカの中では世界最大級で高さは2mを超える。当初はジェフロウランドの#5で鳴らしていたが、思うように鳴らず、デュエット350からパフォーマンスにした。

国産のコンデンサスピーカに比較して音は桁違いに良いのだが駆動が大変でインピーダンスが2Ωを切る様な状態も生まれたまげる。

ばらせば分かるがとても完成品とは言い難い。電極はビニール被覆のIVか何かをマトリックスしてその両サイドにサランラップみたいな薄いポリかなんかのフィルムをテンションを掛け張ってある。

最近この手ははやらなくなり昔ながらのダイナミック型をたくさん並べたトールボーイが主流だ。悪口を少し言ったがボーカルの生々しさとか、弦の美しさは想像を絶して天上の音楽。

ゆめゆめJAZZを鳴らそうなどと思ってはいけません。

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2007年10月27日 (土)

花園回想 フィールドドリーム賞

Drm見た瞬間予感はした、なんかの賞が取れるなと。良い事で入場行進の姿を評価する新たに決めた賞だ。

はっきりしている理由の一つがジャージーだ。マリンブルーと白の段柄で、合併で翔洋になる時これを決めた部長、監督のお手柄だね。51校中一番清潔感が漂いこの時点でかなり優位だった。

それに真面目な2006年組がにわかに、しっかり練習して見事だった。詳しくは知らないがどうやらNO9,kentaが仕掛け人のようだ。

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花園回想 親達の群像 NO10

Haru豪雨に雷鳴、翔洋グラウンドが嵐だ!傘が役に立たず雨が突き抜けてくる。s川コーチは頭からずぶ濡れで”シャンプーを!”とジョークを飛ばしている。練習試合なのに2006年組のいつもの親達はしっかり応援に駆けつけた。

チーム状態は不調でプール状態のグラウンドで子供達は泥まみれになり悲壮感が漂っていた。思えば春の選抜以降は常勝軍団のプレツシャーに押しつぶされ伸び々としたプレーは少ない。

勢いNO10,ryouに負担が掛かり、ryouのおかんにも負担が押し寄せた。そのおかんは選抜の頃、戦うryouを注視できず見なくて、見ていた。夏過ぎ頃から流石のryouも、ryou頼りのプレッシャーや暑さで倒れた。そして遂にはおかんも倒れてしまった。母親思いのryouの心と、子供の活躍は絶対に見逃せないおかんの心が一つになり驚異的な回復力で、県大会決勝戦には草薙球技場へ駆けつける事ができた。

そしてryouは母親の目の前で、母親を勇気付ける見事なトライで県大会決勝戦に勝利した。すっかり元気になったryouのおかんは2006年組であっちこっち出かけるが、いつも両手一杯のおみやげでたまげる!

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Jim Clark (1936-1968)

Jimロータスのジム.クラークだ。1968年4月7日ホッケンハイムサーキットに趣味で出場したF2レース中、あの長い直線でコースアウトして立ち木に激突、炎上死した。

そこの立ち木の下に墓標が作られ、その場所をジム.クラークシケインとしたが現在は大幅改修になりその直線はなくなり、ほとんどジム.クラークの存在は希薄で忘れ去られようとしている。

F2のロータスだがいいデザインだ。形がグロテスクで先鋭的な現代のコンピュータデザインと異なり潤いがあって、形その物に”人間臭さ”がある。

F1を見ている君!ハンドルのオートマチックボタンを操作しながら300Kオーバーで走るも良いけどさ!シンクロのとろいミッションでダブルクラッチ、ヒールアントゥで吸い込まれるようにギアが入ると”あ!俺は天才レーサーだ”ってな気分で箱根の旧道をドリフトしながら、当時は小さかった4番ロックの息子を乗せたロードスターが疾走した。ついこの間の事だったが....

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花園回想 開会式

Open第86回全国高等学校ラグビーフットボール大会の開会式だ。全国から51校が出場している。

大会の名誉会長は森元総理だ。春の選抜の時にやけに空いたスペースがありそこから森さんの写真を撮ったが、警護の屈強なSPがいて空いていたのだ。現役時代にはあまりいい印象はなかったが、ラグビーの会長は適任で校長先生みたいにやさしく、厳しく子供達に話しかけ、話術巧みでつい聞き込んでしまう。

手前の黒い人の列は各高校の監督で右から4番目が我らがH多監督だ。いよいよ華々しい開会式の始まりだ。

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2007年10月26日 (金)

花園回想 ラグビーの心

Kokoro2”あんぷおやじは精神論ばっかり”と言われてしまうがしかたがない。別にあんぷおやじが考えた事でもなく真理とはそうゆうものだ。プロのスポーツ界を見てみなよ!心がない故の事件ばっかりだ。

数多く撮った写真の中で一番意味深い写真で翔洋ラグビー部に投稿した写真だ。花園の華々しい写真もたくさんあるが、やはりこの1枚に惹かれる。

真面目な2006年組が絶不調のチーム状態の中、瀬戸西を招いての練習試合だ。この写真を注視すれば、ラグビーの心が見えてくる。体中泥まみれになりながら両チームの戦いで、どっちが勝とうが負けようが意味は別次元、両チームの皆にそうまでしてくれてありがとうと言いたい。泥の中で彼らは何を思ったのか?

結局ラグビーの力を持ってしても救われない事は多いがそれが現実だ。2006年組が全てにおいて輝いたのは真面目で思いやりのある親達と子供だからね。

ヘアスプレー、クイーン.ラテファの歌うアイ.ノウ.ホエア.アイブ.ビーン  ”闇の中に光がある....明るく燃え上がる光がある...私に道を示すように...”

がんばれ2006年組親達!

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花園回想 2006年組

Hanazono_2各チームが花園ラグビー場の正面で記念写真を撮る為結構渋滞して忙しい。下手をしたら正面でなく斜め方向になり記念写真としたら具合が悪い。いいタイミングでいい場所が確保できて2006年組の記念写真は上々の出来だね。

12月24日に出発してから、ページは1枚々確実に開かれ遂に開会式当日を向かえた。

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2007年10月25日 (木)

花園回想 第一グラウンド

Hanazonoここが近鉄花園ラグビー場メインスタジアムの第一グラウンドだ。

遂に来た、来る事ができて本当に良かった!

ここに居るだけで目頭が熱くなるこの空気感はなんだろうか!真冬の花園だが、兵どもが戦いの熱き足音が確信的に聞こえた。ここがラガーマン戦いの故郷なのか。

事実は小説よりも不思議で劇的なり....だ。想像を遥かに超えたドラマが待っていようとは誰が想像したであろうか。だが風雲急を告げる荒れた天候が示唆的であった。

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花園回想 親達の群像 NO9

Daiki2 前に登場した”かっちゃん”の義理の姉さんがクラブG&Gのオーナーで、そんな訳で会社でよく利用した。そのGGと双璧が鹿鳴館で現在は2006年組が良く行くカラオケハウスになっている。JAZZで親しい静大出のインテリピアニスト林さんの店”ドットクール”も両替町だ。

2006年組のお付き合いで再び両替町へ行くことになったがすっかり様変わりしていた。その両替町へNO9,daikiのおかんが店を出した。

焼肉のお店”輝”きらりと呼ぶ。両替町2丁目3-4 STビル3階 054-273-5607 細腕繁盛記でおかんが、がんばっていて2006年組の行事はここでする。夜昼無く働き詰めで小柄な体が良く持つなあ、と感心しきりだ。

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2007年10月24日 (水)

花園回想 記念撮影

Oyatachi花園入り口での記念撮影だ。だいぶ2006年組メンバーが欠けているが、12月27日は開会式で翌日の土佐塾戦に全員が揃う。

sin君の妹やteru君の妹、daiki君の妹も来ていて家族ぐるみの応援だ。みんなにこやかないい顔してるね!

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2007年10月23日 (火)

花園回想 開会式

Hanazono12月27日前日から徹夜でバスを走らせた。狭いバスでこれだけ走るも修学旅行以来だしエコノミー症候群でぐったりだ。だが2006年組の親達は元気そのものであきれる程だ。

選手達は24日に出て仰星のグランドで練習を重ね開会式を迎えた。なんか選手達がまぶしく見えて何時もの調子では声が掛けられない、晴れ舞台の主役だからね。そんな子供達を遠巻きにしながら親達は我が子を注視した。

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2007年10月22日 (月)

花園回想 古ぼけたスパイク

Supaiku_2あ!っと後で気付く事も多々ある。

親ばかでラグビー用具がダメになったと聞けば翔洋から練習の終わった息子を連れて、水落のスポーツハウスBFB へ閉店前ギリギリに猛スピードで買いに行くことも度々。スパイクが3ヶ月でボロボロになる時もあり凄さにたまげた。

結構ラグビー用具は気にするたちで、直ぐにだめになるしよく買出しに行った。花園が決まりそれじゃあスパイクを新調しようと言うと”要らない!”を繰り返し、新調しようとしなかった。

そうか花園が終われば引退だからな。”もったいない”の心で新調しなかったのか。花園で仰星の選手達を見てラグビー通が”見ろ!y中選手凄いスパイクを履いている”などの声が聞こえてきて、”新調すれば良かったのになー”とその時は思った。

ちょっと片づけがあり、残された”主”の居なくなったボロボロの最後のスパイクを見て、あ!っと息を飲んだ。そうだったのか、足に痛み止めを打って決勝戦で履いたこの古ぼけたスパイクを花園へ連れて行きたかったのか!

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花園回想 菅平の熱き風

Sugadaira2006年組は後援会入会を拒否した。2006年度の応援活動は子供達の為にと良かれとした事で私心のなし也。だが捉え方は人それぞれで随分悔しい思いをし涙した会長、役員の皆さんだったが、そりゃあ時間が直ぐに答えを出すのだ!

ラグビーの素晴らしさや精神を全く分かっていないラグビーに近い人々の多い事、唐変木としか言いようがない!試合を見ていれば直ぐに気が付くはずだ。イギリスで生まれたラグビーは自由と博愛の精神で作られた。だから”博愛”は自己犠牲を強いる。自己犠牲でフォワードが下敷きに成りながらボールを出す、受け取ったバックスは粉砕覚悟で相手に突進する。だからそれに感動するのであって他のスポーツと違う所だ。

まあ、もうごたごたする事は無いと思うがあんぷおやじの持論は”意見の対立する全員がグラウンドに出て息子のポジションに入り、H多監督にレフリーをお願いしてラグビーの試合をすれば良い”肌が触れ合い、痛い思いをすればノーサイドの精神”自由”が分かるはずだ。

それにしても2006年組はご褒美が多くこの写真は素晴らしい宝だ。そして菅平の熱き一陣風は花園をさわやかに駆け抜けた!

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2007年10月21日 (日)

花園回想 親達の群像 NO8

Gti丁度2人写真に写ったが2006年組を支える元ラガーマンだ。他に1人いて合計3名のラグビー経験者がいる。これも偶然ではなく必然で、彼らのラグビー啓蒙活動が2006年組に多大な影響を与えた。

春先新人戦から応援に行き、サングラスが良く似合うマトリックスの主人公風な長身で精悍な男に声を掛ける。実に愛想良く親切でラグビーの事を色々教わった。NO8,tuyosiの父君”GTIおやじ”だった。

そしてGTIおやじの証言”仰星戦でグラウンドに登場した2006年組全員が涙した只ならぬ雰囲気に、思わず涙がこぼれた!”

元ロックでフォワードの大変さを一番良く知っていて、優しいフォワード軍団に何時も声を掛け励まし続けた。熱き思いのナイスガイで2006年組が不調の時は、懸命に叱咤激励して子供達を支えた。

応援席にはほとんど居た事がなく、愛用のカメラを片手に立ち入り禁止などなんのその、至る所に出没して貴重な試合の記録写真を撮り続けてくれた。

tuyosiはNO8だったがポジションはやはりフォワードだね。

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2007年10月20日 (土)

花園回想 親達の群像 NO6

Rei2006年組親達の団結力はそれぞれが違う職業でなお且つ超個性的にも関わらず実に見事で他の年代を圧倒する。大体これほど個性的な人間が集まると、本来まとまりなんぞ出来る訳がない。スクラムで腕を回して結合する事をバインドすると言うが、みんな粘着(バインダー)人間なんだろう。

NO6,teruのおかんだ。自分の若い頃にそっくりだとお嬢さんを前に盛んに言われているが妙に納得だ。頭脳明晰な才女で場の空気を読む事にかけては絶妙でたまげる。

宴会での迷役者振りに目が行きがちだが、実に細かい配慮のできる人で2006年組みんなの事を常に考え行動していて、ポジションはteruがNO6だったがマネージャーだね。ふっ!と思慮深き表情をする時があり、teruに瓜二つ!なーんだteruの哲学者風の表情は母親譲りだったのか。

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2007年10月19日 (金)

花園回想 名コーチ

Satu今まで多くの人々に会ってきたが、これほど純粋でこれほど熱き心の男は見たことがない。子供達の事を思い衆前で涙を流す!出来る事ではない。

2006年組の子供達は真面目な性格だから本能的に本物かどうか見極める。そしてs川コーチの教えに従って猛暑の中、寒風の中、嵐の中、ひたすら練習した。

自校は勿論の事、他校の生徒が怪我をすると真っ先に治療に駆けつけるのがs川コーチでラグビーのノーサイド精神その物だ。

総体静岡東戦、思いのほかの苦戦で観客からは”翔洋たいしたこたあないじゃん”の声が聞こえる。やっとの思いで勝利した試合直後だ。フラストレーションの溜まる選手達を集め自らが標的になり猛特訓が始まる。狂ったようになりながら思いのたけをぶつける選手達にたまりかねて吹っ飛ぶ。

仁王立ちして子供達の思いを受けた止めたs川コーチの猛特訓は、もはや伝説になった!

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2007年10月18日 (木)

花園回想 親達の群像 NO2

Hira親ばかレースでは誰も負けない横一線だ。子供のラグビーで気が付けば親達がラグビーに首までつかり、挙句の果てにあのレフリーおかしいんじゃあない!などみんなラグビー評論家にしっかり成りきった。

筆頭は会長だ。自腹を切りお酒まで特注してしまうのだからもう言葉を失う。豪快に2次会の費用なんかもまとめて面倒見ちゃうのだから恐縮至極だ。だが商売柄気働きは人一倍で微に入り細に入りの配慮で流石だね。正義感が強く熱血男で2006年親組チームの大黒柱だ。後援会のゴタゴタでは悪しき慣例を断ち切った勇気ある痛快な男だ。

koutaのポジションはNO2フッカーだったが、”ちゃあおやじ”のポジションはNO10スタンドオフだ!

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花園回想 出立の朝

1224早朝だが何時もの親達が集まりいよいよ花園へ向けて出発だ。素晴らしき天気で朝日がまぶしく子供達が祝福されているかの様であった。

これから起きる劇的なドラマが全く想像もつかない、しかしわくわくする様な期待に胸膨らむ送り出しだ。12月31日にこの場所へ戻るまでの8日間は子供達も親達も一番長い8日間になった。

2006年暮れの事であった。

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花園回想 ロック

Lock個人的には一番付き合いが多いロックのtoruだ。雨が降った時などは息子と一緒に車で送ったり食事をしたものだ。なんせ気が優しく遠慮深い、本人はもっと気持を強く持ってメンバー入りを果たしたかったが、出来なかった。

表裏一体とゆう言葉があるが、まさにチームはその状態で試合に出場できない選手も含めて2006年組は成り立っている。たまたま3年間のラグビー生活では答えがサポートメンバーだが4年あったらどうだろうかと考える。間違いなく選手で登場できるはずだ。5年あったら....

監督も子供達も3年間(正味は3年に満たない)では答えを出すには短期間過ぎる。起業すれば分かるが最低5年の時間が必要。

2006年組では一番気が優しくて力持ち、その分繊細で見る視点が違うのだからこれからが君の登場だ、がんばれtoru!

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2007年10月17日 (水)

花園回想 フランカー

Koroころっけちゃんの愛称で呼ばれた気のいいやさしい男syougoだ。何時も黙々と練習する姿には感心する。ケガ等で花園ではメンバー入りを果たせなかったが、花園開会式入場行進ではフィールドドリーム賞の一員だった。

花園ではウーターボーイなどサポート部隊でがんばってあの仰星戦を共に戦えた貴重なメンバーだ。メンバー入りを果たせなかった事でさぞかし悔しい思いをした事だろうが、あの仰星戦でそれらが全てが氷解して選手も、控えも、サポートも、同じ感動を味わえsyougoのラグビー青春が終わった。

真の素晴らしいチームは出場できない選手の事をしっかり記憶して、彼らの分まで共に戦う気概が必要で2006年組はそれが出来た。まあB型が多い2006年組でバラバラになると思いきやその逆で、思いやりがあり心優しき思慮深き集団で、この子等の親がそれだけ素晴らしかったのだろう。

一度大学まで送った事があり、少し話をしたが実に気持のいい男で将来が楽しみなsyougoであった。

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2007年10月16日 (火)

ラグビー 千夜一夜

Hanazonoブログで2006年組の事を徒然に書き綴ったが、はたと気が付いた!仰星戦のあのような絵はもう描けないが?文章なら才能がない分気楽に書ける。そうだ!ラグビー 千夜一夜物語でまとめよう。

16人の自慢な息子達と1人の娘にその親達、素晴らしき指導陣の人間像は、本にでもして記録に残すべきだろう。DTPが進化した時代でなにも印刷屋へ出す事はない。この話は麗子さんから聞いたような記憶が.....

改まって何をする訳でもなく現在の徒然を少し体系的にまとめるだけだが、なにぶんラグビー音痴で史実からずれてもご愛嬌という事で御容赦。

それだけの凄い事をやってのけた2006年組だ!

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花園回想 県大会決勝

Kenこの写真に自分が写っているのだから撮った訳ではない。雨、寒さ、風、最悪のコンデションだ。seiyaは準決勝後半からやっと出場できた、sintarouはこの試合で戻ってきた、keisukeは痛み止めを打って飛び込んだ。sinもryouも県大会はケガからの復帰だ。よくみんな県内最後の試合に戻ってきてくれた。

今までなら決勝のプレッシャーや諸々で萎縮してしまうのが、苦境を乗り越えて強くなった結果だろう。伸び伸び試合していた。後半は橘の徹したフォワード攻撃を跳ね返し押さえ込んだ。実に見ごたえのある試合で2006年組の親達は満足だったが、ラグビーの深さを知らない人には物足りなかったのだろう。

表彰式の表情が傑作で、喜びを表す選手は誰も居なく安堵の表情で志の高さを感じた。既に表情は花園へ向いていたのだ。

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2007年10月15日 (月)

花園回想 出発前日

1223それまでのぐずついた天気が嘘のように晴れ上がり、小春日和の暖かい穏やかな12月23日だ。2006年組は翔洋グラウンドで最後の練習をし、最後のグラウンド整備をして監督の話に臨む。

グラウンドで練習のある休日はほとんど訪れ写真を撮ってきたが、この日の子供達は何の気負いもなく穏やかな表情をしていた。

一時はけが人続出で危機的状況でもあったが、2006年組全員が揃い3年間の辛く苦しくそして楽しい様々な思いをグラウンドの砂に記憶させ明日花園へ向かう。

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2007年10月13日 (土)

花園回想 功労者

Mg12月29日仰星戦決戦前日、春日神社の神様の思いやりで不思議空間を体験して、街中へ出ると奇跡的にマネージャー3姉妹にバッタリ出くわした。norikoにayusaにhitomiの3姉妹、何が偉いって彼女達の微に入り細に入りの気働きには何時も感心してしまう。

翌日の仰星戦であれだけ戦えたのは彼女達の努力の賜物だ。今年はayusaの番で来年はhitomiの番だ。頑張れ!

Kasuga実は春日神社で法外な?お賽銭を入れてしまった。きっとこのご利益も....

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花園回想 番外

200612月27日開会式当日、前日から”徹夜”でバスを走らせて花園に到着した。花園開会式では見事にフィールドドリーム賞を受賞したその夜。見よ、この元気さ!見よ、この輝き!2006年組の母親軍団は、ただただ凄いとしか言いようがない。

あのえげつない大阪の夜にも全く動ずる気配はないし、むしろ周囲を圧倒している。この母親達だからこそ、あの思慮深き奥ゆかしい息子達が出来たのだと固く信ずる!

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2007年10月11日 (木)

花園回想 NO9

Kenta 朝、翔洋へ息子を送って行くと、何時も仲良くryouキャップテンとkentaが自転車で走ってくる、5中のでこぼこコンビだ。kentaはryouの事を保護者と表現していたのが微笑ましいね。

県大会後半戦、kentaの登場だ!監督に背中を押し出されるように小走りで出てくるが、片手をひょいと上げて何時ものkentaスマイルだ。それが彼の緊張表現なんだろう。

花園土佐塾後半戦、何時もの様にkentaの登場だ。相変わらずニコニコしてチームに元気をもたらす。何時も明るく元気なのだがきっと辛い事や苦しい事も多くあったはず、それらを決して表面に出さないkentaは凄いやつだ。kentaが練習中に風邪で倒れ家内と様子を見ていたときにそれを感じたね。

仰星戦終盤、kentaの涙を拭う姿がテレビに映り、彼のラグビー青春にピリオドを打った!

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吉祥寺のウエストミンスター

Kichi静岡市藁科の更に奥の奥、諸子沢とゆう集落がある。ここに檀家40軒の小さなお寺”吉祥寺”があり、ご住職のn野さんとは友人だ。

空を渡る風、川のせせらぎ、雨だれの音、これらと融合できた時があんぷおやじオーディオの終わりなんだろう。

お寺の本堂にウエストミンスターを持ち込み、実験空間で本堂を利用させて頂いた。アンコール1MΩにアンコールモノパワー、ボーズのcdといったラインナップであった。初めてこんなにでかいスピーカで音楽を聴く檀家の皆さんやn野さんは、えらく感激して”清艶”と書を書いてこの音に決着を付けた。

ウエストミンスターとアンコールアンプ群は決定的に相性が悪くあんぷおやじは内心困り焦った。その後がんばってまあまあの音まで出したが、理想には程遠かった。まあ人一人が通れる狭い長い急な石段を、このでかいイギリス製スピーカを持ち込んだ勇気を評価していただいて、n野住職は”清艶”と決めたのだろう。

最近ご無沙汰しているが今なら自作アンプで”清艶”が出せる?

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2007年10月10日 (水)

花園回想 名将

HondaH多監督の表情を遠方応援席の我々は窺い知る事は出来ない。テレビ放送で初めて知る事となる。

何時ものあの厳しい表情の鬼監督ではない、我が子を見つめる愛情深き親の表情だ。額に少ししわを寄せて心配そうに見つめている表情が、次第に明るくなり隣のH部長と顔を見合わせる。仰星戦の序盤だ!むしろ翔洋が押している展開であった。

仰星戦の死闘が終わり泣き崩れて戻る選手達を抱きかかえるようにして迎えるH多監督の姿に、試合には”勝つ”負ける”の他に勝敗を超越する結果もある事を知らされた。

Hanazono2006年組は最後の花園でH多マジックと選手達の熱き心で遂に”越えた”のであった。

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2007年10月 9日 (火)

花園回想 番外

Kasuga12月29日仰星戦前日、前日の飲みすぎが祟った”しらすおやじ”をほったらかしで子供達が宿泊している奈良のホテルに向かった。そこで行き先のグラウンドを聞いて向かうが、練習は終わっていた。

midoriさんにmichikoさんにtomomiさんに家人で春日神社へ必勝祈願のお参りをした。赤鳥居を進む必勝祈願隊、この写真は我ながら傑作だと思う。

気温がどんどん下がり小雪が舞い始め東大寺付近の奈良は中学の修学旅行以来だが、見るもの全てが明日の決戦のイメージに深く重なり何か”特別”な映像を見ているような不思議な錯覚に陥り、本当にそこに居たのか居なかったのか全てが幻の如し!

はたして春日神社の神様の成せる技だったのだろうか?

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2007年10月 8日 (月)

花園回想 NO14

Sin春の新人戦から応援を始めて花園まで1年間で1000枚以上の写真を撮った。よって1000話以上の話が書ける事になるが、ずーっと先になると段々記憶が怪しくなり、終いには”仰星戦はこっちの勝だよなあ!会長”てな事になり兼ねないので史実からずれても御容赦!

まるで親子鷹だ。”らぐびーおやじ”の言う事を素直に聞く良く出来た息子で(おやじ以上の出来だね)ラグビーの為に信州から清水の地に出てきた。大変苦労したと思うが本当によかったね。

東海大翔洋ラグビーチームで県内は無敵、東海大会でも好成績、春の選抜も出場、そして憧れの花園、しかも第一グラウンドの2試合、ラガーマン冥利に尽きる。それもこれも家族一丸ととなってNO14,sinを支え、そして本人の努力の賜物だった。

画像は花園第一グランド、超満員の観客の前で縦横無尽に駆け抜ける俊足右ウイングsinの最後の勇姿だ!

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花園回想 NO9

Daikiラグビーは適材適所の言葉の意味する所を余す所なく表現した未来型スポーツだ。企業もラグビー型組織にすれば様々な才能の持ち主を生かせて良いのだが、どうも現代教育と同じで優秀だが金太郎飴的人物を求める。

スクラムハーフは大抵一番軽量でフットワークの軽い選手が担当する。このポジションは目が大事で3個から4個位あればなお更いいが、流石に創造主もラグビーの事まで考えずに人間を作った。

母親思いの穏やかで心の優しいdaikiが、菅平以降ラグビー戦士へと変身してゆくが、”all for one one for all”の魔法が成せる技なのだろうか。

最後の大舞台、daikiの突進は想像を絶する!70kg弱の軽量が100kgを越える仰星ディフェンスへ幾度となく楕円ボールを小脇に抱えて突進する。負けるまでは勝つチャンスがある訳だから、弾き飛ばされても々突進する。スタンドで見守る母親の目の前で小さな巨人は、大きく意味深い歴史を作った。

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2007年10月 7日 (日)

花園回想 NO4

Kei37中の同級生に勧められてラグビー部に入った。どうなるかなーと思ったが格別反対はしなかった。2度の鎖骨骨折もあり、筋トレ中に倒れ救急車で搬送された時はもう止めさせようかと思った。

応援に行くようになり初めて分かった。辛い事も苦しい事も2006年組の最高の仲間達がいたからこそ、耐え忍べたのだ。

Kei4花園開会式の入場行進では、5分刈り坊主頭の家を出るときの格好だったが、翌日の土佐塾戦ではなんとツルツル坊主になってしまいたまげた!

仰星戦では高校全日本のM田君をタックルで倒したり、試合中は終始タックル、タックルでもう思い残す事は何も無いようだ。

”格別反対しなかった”が数々の劇的な答えをもたらした。名将H多監督とも親しくなり、何よりも自慢な息子達がいっぺんに16人も増え、更に”知的”な2006年組親達(みんなそれぞれ哲学者で思慮深い)の素晴らしき仲間が増えた。

NO4ロックの息子に感謝!

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2007年10月 6日 (土)

花園回想 NO3

Yutaデジカメの普及機は、速度が遅くバックスの速さについていけないが、フォワードのスクラムは止まっているのでうまく撮れる。だからあんぷおやじの写真にはフォワード5人組がよく写っている。

はにかみ屋で心の優しいNO3,yutaの性格が2006年組を象徴しているように思える。上品でえげつなさがまるでなく、監督からすれば物足りないだろうが、それが良い。厳しい試合なんかで泣き出しそうなyutaの表情をみると、思わず声を掛けてしまうが、その度にニッコリして”優しい子だなあー”と思った。

画像が心優しきフォワード部隊の勇姿だ。このメンバーで1年間戦い続け、そして最後の花園大舞台、仰星の高校史上最強のフォワード軍団と何度も々スクラムでぶつかる事になった。yutaの回顧にもあるが止めたい気持を良い仲間の支えで続けられ、最後に仰星の巨漢プロップに果敢に挑んで燃え尽きた。

丹精で彫りの深い顔立ちのyutaは絵になり2005年に続き2006年でも泣き崩れる姿がテレビ放送クロージング映像になった。

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2007年10月 5日 (金)

ALTEC 1003B

1003b全くやくざなホーンでキンキンカンカンで手に負えない1003Bだ。1505もあるが1003にしたのは300Hzが出せる優秀なホーンだから。

神楽坂のイーディオの飯田さんを始めここのお客さんはダイアモンドツイータなどの最新式のスピーカを使っていて、”今時ALTEC粗いね”と言われてしまったが危険な香りのするJAZZだからこれで良いのだ。

まあやくざなスピーカだが気に入って他に変える気は毛頭ないし、摩訶不思議な音楽を聴きたければサウンドラボのコンデンサスピーカA1を生かせば良いのだ!

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花園回想 NO1

Tomoya飯田総合運動場へ遅れてきたtomoyaは高熱でブルブル震えていた。律儀で真面目なtomoyaは風邪でも休む事をせず、無理を言っておやじさんに車を運転してもらい飯田へ来たのだった。

帰りが時々息子と一緒になる為、食事なんかもよくしたが遠慮深い性格がほほえましかったね。

体はそうは大きくないが、筋肉の塊でチーム一番の怪力の持ち主だ。こっちは80Kg弱、仰星のNO1はなんと115KgN田君だ。さらにNO3のN川君は118Kgだ。あなたねえ、フォワード平均体重が20Kg差というが仰星はフロント3人で318Kg、翔洋は245Kgで73Kgの体重差だ、こんなに差があるならスクラムを組むのも嫌なくらいだ。

tomoyaはひたすら黙々とスクラムを組み、押されても押されても表情を変えず耐えに耐えた。これが最後のスクラムと心得て熱き心で臆する事無く見事に戦った。試合も終盤、tomoyaはスクラムを組む前にkoutaと顔を見合わせて笑った!あの無表情が笑った、初めて見た!スコアは負けていたが”心は勝って”会心の笑みだ。

ナイスガイでタフガイのtomoyaの事はいつまでも忘れない!

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PR7909S改造2

Pr7909s

PR7909S改造の続報だが、電流容量を取る為にダブルに巻いてあり、更に分解するのであれば、36V,5.5A巻線が4組ありこりゃあすごい!使い道豊富で苦労の甲斐があった。

SBD回路だが結構難しく共通インピーダンスを回避する為の工夫が必要で、電源回路だからと侮れない。むしろ電源の身分を上げて特権階級位にすべきなのだろう。

SBDを生かすには電解コンデンサが重要で、日立HCGは最初に脱落、MJで見かけるRAIFAはモータ用で入手してありHCGより落ちる。ニチケミのSMEはかなり良いが高域が伸びすぎてハイ上がりの原因だ、しかし十分に使える。圧巻はフィリップスだ!今の所これに適うものはないが、入手難が頭痛の種だ。

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2007年10月 4日 (木)

花園回想 NO10

Ryou先日熊谷ラグビー場で帰り際にryouがすっ飛んできてharumiさんからお小遣いを貰っていた。ラグビーではプロフェッサーのryouも普通の子供に戻った瞬間だった。

土佐塾戦では一つもトライを取りに行かず、キャップテンとしてのチームプレイに徹し変幻自在なパス回しは、ただ見事としか言いようがない。

仰星戦ではペナルティゴールを狙いにいったが、残念ながらゴールならなかった。母親が倒れ、チームはけが人が続出、本人もじん帯を痛め、18歳の少年には十分すぎる程の試練だった。

後半度重なる厳しい攻めに会い、倒されても々立ち上がり歯を食いしばって仁王立ちしたその姿に胸打たれた。その姿を目撃した2006年組は力尽きるどころか、最後の最後まで”怒涛の攻め”を見せて、満員の観客に多くの感動を与え静岡の地に翔洋ありを記憶させた。

ryouは実によく出来たキャップテンで、自ら率先してウーターボーイをしている姿や後輩を気遣う姿が、試合での勇姿以上にあんぷおやじの記憶に留まっている。

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2007年10月 3日 (水)

花園回想 仕掛け人2

Noriko”口ばっかりでなくてやってごらんよ!”人伝てで正確ではないがnorikoが泣きながら2006年組にはっぱを掛けたらしい。

炎天下ひたすら防御具の繕いをする、汗だくになりながら水を運ぶ、寒さの厳しい吹きっさらし中じっと選手を見守る、体育祭では、徹夜で何10kmものマラソンで完走した、2006年組一番の根性の持ち主、最高のマネージャーだ。よって男子選手は誰も頭が上がらない。

仰星戦の最終局面、norikoが袖で涙を拭う姿がテレビでアップになり放映された。なによりも美しい姿に多くの人々が胸打たれた。

ありがとうnoriちゃん!

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PR7909S改造

Pr7909s時代の進化の過程では時々滑稽な事が起きる。電源トランスPR7909SとPR7808Sだが、明らかに欠陥だ。センタータップによる共通インピーダンスでパワーアンプだけでは良いが、プリを繋ぐと盛大にハムが出て使い物にならない。

お好きにどうぞと断っていないとあんぷおやじの様に、タムラのトロイダルトランスを巻く爺さんが居なくなり出来なくなるとの噂で、5万円のトランスを10個も抱え込む事になる。

10年以上も抱え込んで”ウンウン”していたが、何とかしようと考え続け遂に出来た。モールドで固まったトランスの上からと下からノミで穴を開け、センタータップを探し出しバラした。これで良し!

ノミでコイルを切断しトランス1個(5万円)パーにしたが、進化には常に犠牲がつきものだ!

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花園回想 仕掛け人1

Enpuku後になって次々と分かってきた。仰星戦であれだけの気持を持てたのは、実は仕掛け人が居たのだ。その筆頭がenpuku先生だった。(画像右端)今までの試合の良いところのみ集めたDVDを一晩で作成して決戦前夜皆に見せた。この”良い所”が絶妙で、決してネガイティブな所は見せない、流石だね!

まんまとenpuku先生の作戦にはまった2006年組は仰星戦に”勝つ!”と決めたのだった。

甲府へ赴任されたenpuku先生、お元気で活躍されている事と思います。最近はグラウンドへ行く事が少なくなったが、enpuku先生がコーチで活躍されていた頃の翔洋グラウンドが懐かしいく思い出されるね!

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