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2007年11月27日 (火)

花園回想 最後の戦い 2

Fainal2 電光掲示板に表示された我が子の名前を凝視して、この試合が最後で特別である事を承知している2006年組の親達だった。

思えば春の選抜でも2回戦で仰星(選抜優勝)と当り79対3で完敗し、締めくくりの花園でも2回戦で仰星(本大会も優勝)と戦う事に成り大いなる意思を感ずる。仰星は創部以来最強のチーム状態で高校全日本を6人も擁しさらに24連勝中の無敗を誇り、解説者は下手な大学では歯が立たないと評していた。

どう見ても、幾ら贔屓目に見ても勝てる相手じゃあない。しかし百戦錬磨のH多監督は勝機はありとの信念で果敢に子供達を指揮して戦いを挑んだ!

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2007年11月25日 (日)

花園回想 最後の戦い 1

Final112月30日、その日が来た!

子供達より先に練習所に着き待った。前夜様々な勇気付けがあったのだが、2006年組の親たちは知るよしもなく遠巻きにして子供達のアップする姿に見入っていた。

”ラグビーおやじ”の100点ゲームの話もあり、一縷の望みは持つものの大差で負けるなと心の中では思っていた。流石に関西勢でなお且つ優勝候補NO1の仰星高校だ。花園第一グラウンドは超満員の観客で、応援用のぼりを立てるのに手間取り応援席に行くと席がないくらいだった。

親達の緊張はピークに達し、手に汗握り電光掲示板に注目した!

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2007年11月24日 (土)

花園回想 12月29日

Nara4 28日に勝利して応援団本体は一旦静岡へ戻った。何人かの大阪残留組はゼネラル観光の配慮で都ホテルへ格安で泊まれる事になりご機嫌だった。勿論インターネット完備で勝利の興奮冷めやらぬままに翔洋のホームページへ打電した。

朝食は和風レストランの会席で素晴らしくてたまげた。周りはラグビー協会の大物達でしきりにレフリーの裁定について議論していて耳に入る。

起きてこない”しらすおやじ”はほっといてseiyaおかん、daikiおかん、sintarouおかん、家人とあんぷおやじで奈良の宿泊先まで出かけ練習場を聞き出し追っかけた。

Nara5時既に遅しで練習が終わり帰る所であったが、2006年組最後の決戦前日の貴重な写真が撮れた。写真が全てを物語りその表情からは”なんの気負いもなく”満足感とすがすがしさが漂い、追っかけおかん組は安堵した。

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2007年11月23日 (金)

花園回想 土佐塾戦 3

Tosa試合前に小雨が降り雨が凌げるメインスタンドへ試合前ギリギリに移動して少し慌てた。流石にいつものIXYでは役不足でイオスディジタルの望遠付で撮った。場内放送では望遠での撮影はご遠慮下さいと放送が流れていたが300mm位なら良かろうと決めた。

大差で折り返した後半戦だ。勝っているからではなく、最後の花園で3年間の苦労や楽しい思い出を胸に楽しんで戦っているように見えた。3人を残しみんな引退するのだから最後の自分へのご褒美なんだろう。

98対0で2006年組は花園1回戦を終えた。この1年間子供達の追っかけをして写真を撮り続け注視してきたが、この日の子供達は紛れも無く”主役”になった!

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2007年11月21日 (水)

第87回ラグビー静岡県大会決勝戦

Fainal人間は過去と現在の間で揺れ動き、現在と未来の間で不動の夢をみる。

タイムマシンで遡りこの風景は何時?天候こそ違え昨年のコピーだ、2006年組は瞬間我が子の幻影を見る!

見た!2006年組OBはみんなロックミュージシャンだ。”デカちょうおやじ”の髭をそってこい!の一言で幻影から現実に引き戻される。

いつも身が引き締まる試合開始の整列だ。メインスタンドの観客はまばらだが我々側の席は両チームの応援団で騒然としている。まあしかしこれがラグビーのスポーツ界におけるポジションなんだろう。この決勝戦はSBSで生中継された。

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フィゲレス

Dariフィゲレスのダリ美術館を見学したあと近所のレストランで食事だ。ガイドさん、運転手さんも入れると総勢9名だ。

パエリアもそうだがスペインの食事は我々には良く合い全く問題ない。久しく日本食を離れていたのでバレセロナでは皆で日本食レストランへ行ったが妙としか言いようがなかった。和食で感心するのはやはり米国だね。

この日は美術館見学で買い物もないし、カード類はホテルの貴重品預かりに置いてきてしまった。所が美術館の売店でダリの画集で素晴らしい物がありつい買ってしまった。(お店に置いてあるでかい画集)

食事代はもうひやひやもので、不足分を皆から集めてやっと払った。

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2007年11月20日 (火)

マイ.フーリッシュ.ハート

Zabo JAZZ喫茶のマスターなどと言っているがJAZZにそう詳しくはない。ビル.エバンスとガボール.ザボの音楽がJAZZであったとゆう事なんだろう。たくさんのCDやレコードを持っているが1人で聴くときは前出の2人だけだ。

更にピントが絞られ本日のタイトルになる訳だが、ビクター.ヤングの名曲”マイ.フーリッシュ.ハート”が画像のCDに入っている。ビル.エバンス1961年ビレッジ.バンガード録音の名盤ワルツ.フォー.デビーにも当然マイ.フーリッシュ.ハートが入っている。

この2枚2曲をどれだけ聴いたかしれやあしない。この先も昨日と同じ様に聴き続ける.....

2006年組の1年間お疲れ様パーティを”ハニー.サックル.ローズ阿部さん”の所で開くが是非マイ.フーリッシュ.ハートを歌って欲しいね!

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ポーラ美術館

Pola箱根仙石原にポーラ美術館がある。近くて気軽に行ける箱根でなお且つ美術館の建物がガラス張りでおしゃれ、収蔵品も多く国内で何度も足を運ぶ美術館はここだけだ。

入館料が個人で1800円、団体で1500円、家人と2人なんで”団体の2名です”と言うと受付嬢がふきだした。

見てみたいルノアールと岸田劉生が常設してあるのはありがたい。その他印象派が中心だが名だたる巨匠の作品が多くてたまげる。

たまたまダリはフィゲレスとmoma、ルソーとシャガールはmomaで歴史に残る作品を見ている。実はここが大事でいい音を聴くことと同じでその作者の代表作を見ないと理解が深まらない。厳しく言えば誤解するケースも出てくる。

好きな画家がいたら追っかけでルーブルでもメトロポリタンでも出かけよう!

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2007年11月19日 (月)

ベイシー紀行 10

Hiraizumi 平泉中尊寺へマスター自らが案内してくれた。参道にある紅葉の根元には種から芽生えた苗がたくさん自然に生えていたので持ち帰った。お寺めぐりが好きで京都へも良く行くがこの紅葉苗の件は京都でも同じだ。

偶然にも能楽堂で能を舞っていたので暫し観賞した。マスターは先にベイシーへ戻り我々だけでお寺の散策をした。なんと先に戻ったマスターはお店でオーディオの調整をやっていたのだ。明らかに昨夜の音とは違い聴く我々の方へ一歩踏み込んで来る。マスターの心遣いに感謝!

岩手では勿論中尊寺は有名だが、それと匹敵するくらい一関を有名にしたベイシーマスターの功績は大きいい。地方でも中央に負けずやれることを証明した先駆者だ!

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勝利!

Win27対7で勝利して花園行きを決めた。双方の当りが強烈で倒れる選手が続出した激しい試合だった。天候の読みが外れて強風でなお且つ信じられないがにわかに曇り、氷が僅かだが降ってきて急に気温が下がった。まさに風雲急を告げるとはこの事だ。

負ければ終わりのトーナメント戦でよくプレッシャーに耐えて頑張ったと思う。苦労して得た勝利だからこそ価値があるのだ。

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2007年11月18日 (日)

第87回ラグビー静岡県大会決勝戦

Finalサークルkの寺さんが早朝まだ薄暗いうちにコーヒーを飲みに見えて、さあ!JAZZ喫茶の開店だ。寺さんの所も翔洋でラグビー部ではなかったが熱心に応援している。ここにreo君ちのおやじ”はてなや”さんが来ると有東坂迷店街ラグビー部がそろうのだが...

本日はいよいよ決勝戦だ。今が午前3時で天候はどうかな、あ!いい天気だ。去年は冷たい雨が降る草薙球技場だったが今年はついている。さあ劇的な答えが待っていると思うが、どれだけ真面目に一生懸命痛い思いをして練習したか、どれだけラグビーの心を学んだか、ラグビー神はちゃーんと見ていてその努力に比例した答えをくれる。

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2007年11月17日 (土)

ビレッジバンガード

Billビレッジバンガードの右隣は何やらいかがわしい店にも見えたが、ジュリアーニ市長になってから急速に治安は良くなったようだ。1980年代に訪れた時はストリートガールも多く見られたがこれも消えた。

ホテルまでの帰り道をタクシー代節約で歩く事にした。薄暗がりを勝手に危険と決めてわき目も振らず走るように通り過ぎようとしたが、全く安全で巡回中のパトカーも声を掛けてくれた。

今はインターネットでスケジュールが検索でき便利な時代になったもので、行く前には出演ミュージシャンをチェックして旅行プランが立てられる。

あまり便利でも面白くない、ハプニングが起きないね!怪しい英語を操り予約できたかどうか半信半疑でビレッジバンガードへ行くのも結構スリリングだ。

現地で日本人向けJAZZツアーの企画が多く、しかし90ドル位取られちょっと高いが全くのビジターならこれも手かもしれない。

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花園回想 土佐塾戦 2

TosaハーフタイムでH多監督の指示を真剣に聞く2006年組だ。前半で43点取り昨年を上回ったが、誰の表情からも大勝している雰囲気はまるでなくむしろ負けているか位の厳しい表情で2006年組の特徴を良く表している。あれだけの怪我を克服して縦横無尽に戦っている何人かの復帰組の勇姿に感動を覚える。

素直な良い子供達でみんな我が子同様に可愛くて、やたら握手してまわるあんぷおやじに嫌な顔一つせずニッコリ微笑んだり、涙をながしたりして握手してくれる。よくよく考えたら変なあんぷおやじに気を使ってくれた子供達の方がよっぽど偉い!

その子供達が一番輝いて見えた。花園1回戦で第一グラウンド、緊張で若干ミスも出たが今まで厳しく教えられた力を遺憾なく発揮して真面目に一生懸命戦った。2006年組の特徴を上げろと言われれば”軽量で走れるフォワード”でもなく”縦横無尽の快速バックス”でもなく”まじめで思いやり”を一番にあげるね。先日も準決勝にkoutaとseiyaが来ていて握手したが、ド派手なファッションとは裏腹で優しさを湛えていたね。

だから彼ら2006年組はラグビーを通じて人生で大切なものが、何たるかをしっかり学んだ。

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2007年11月16日 (金)

JBL スピーカシステム

Sp弟子のkouhei君にはスピーカは”出来そうで出来ないから作るな”と言っておきながら作ってしまった。まあシステムアップが正解と言った所でタテマツさんに全面的にお願いして箱とホーンは製作して頂いた。

JBLの2220Bと2441(375)に075で偶然にもベイシーと同じラインナップになった。自分の好みで足の速い低音で2220Bにしたがドス!を出すならLE15だね。075は上がまるっきり出ないからハイエンドオーディオにはならない。

今回はお客さんの希望でレイブンのR-2リボンツイータを角度をつけダブルにした。カンさんの所のリボン程威力はないが良いリボンツイータで微妙なレベルのスパイスで使ったら途端に見通しが良くなりハイエンドになった。

木の加工は相棒の拓ちゃんにやってもらった。相変わらず良い仕事をしてくれるが、原資がないからまけてと困らせた。

アンプはvenus soundの2A3パワーアンプを3台使いバイバイワイアリングした。これも新しい試みだった。

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2007年11月12日 (月)

県大会 準決勝

Jyunだいたい人間に制御できる範囲はたかが知れて天候はどうにもならない。11月11日はもう初冬のはずなのに陽射しが強く暑かった県営草薙球技場だ。

浜松工業S崎君のお母さんに久しぶりに会い旧交を温めたが、湖南戦でまさかの敗退を期して”決勝で会いましょう”が又霧散した。

25対17で厳しい戦いを勝利したが、いつも思っている”最大の敵は内なる心にあり”で相手チームの気持が上回った結果とも思える。現役ではなく応援席に居る必要もないので間近で子供達の戦いを見ているが、本当に”ラグビーは凄い”の一言でミスも下手なプレーにも何も言えなくなってしまい”お疲れ様、ありがとう”の言葉しかない。

さすがはH多監督で前半終了間際のペナルティでコンバージョンを狙わせた。この3点が最後まで翔洋に有利さをもたらし、名将の名将たるところを見た!

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2007年11月11日 (日)

花園回想 土佐塾戦 1

Tosa3荒れた天候もどうやら落ち着きを取り戻した12月28日午後12時30分キックオフ、いつものメンバーの名前が電光掲示板に表示される。

県大会半ばまでは何らかの怪我を抱えた選手が半数を越え危機的状況であったが、みんながんばり最後の花園には3年間苦楽を共にしたメンバー全員が揃い、遂に花園のピッチに立った。

2006年組の親達は万感胸に迫る思いで子供達と電光掲示板を凝視した。

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2007年11月 9日 (金)

ビレッジバンガード

Sinこの時はロレイン・ゴードンさんが不在で若い責任者を捕まえ(多分フロアマネージャーだと思うが)1961年6月ここでビル.エバンスが歴史に残る名演奏をしたが知っているかと聞くと”知らない”との答えでたまげた。

こっちは勝手に聖地みたいな思っているのになあ...

はなっからロレイン・ゴードンさんにサインをもらう予定で”ワルツ.フォー.デビー”のCDを2枚持って行った。そしてビル.エバンスの事を聞こうと思って。あきらめてその責任者”トム”からサインをもらった。

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2007年11月 2日 (金)

サンフランシスコ ベイブルース

Sausa ゴールデンゲートブリッジを渡り暫く走り海岸へ降りるとサウサリートのしゃれた町だ。ウータフロントのレストランでコーヒーを飲みながら遠方のサンフランシスコダウンタウンを見ていると、シリコンバレーで仕事してこの辺りに住めれば良いな、とその時は思った。

ところが今は違う。アメリカの輝きがない!50年代、60年代のJAZZの凄さ、60年代、70年代のロックの凄さ、全ての芸術がパリからニューヨークへ移り憧れたニューヨーク!ツインタワー事件以来みんなくすんでしまった。

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2007年11月 1日 (木)

花園回想 親達の群像 NO15

Sinta 名門の進学校もラグビーが盛んで結構ぶつかるが応援に品格がない。甲高い悲鳴の様な声で応援されると音を商売にしている繊細な耳がやられあんぷおやじは、もうノックアウトだ。また、もう一本!もう一本!の掛け声もボキャブラリーの品位を疑う。

我田引水だが、翔洋ラグビー部の2006年組父母会の応援は、品がある。その立役者がフルバックNO15,sintarouの父君”デカチョウおやじ”だ。グラウンド中に届く音力のある声はてっきり職業柄、訓示したり、号令を掛けたりで鍛えられたかと思ったがそうではないようだ。

硬い職業の割には芸達者で2006年組一番のエンターティナーだ。その血を受け継いだsintarouもチーム一番のエンターティナーで親子は良く似る。普段のデカチョウおやじはやはり商売柄しっかりした考え方を持ち、正義感に強く実に頼れる仲間だ。

あんぷおやじがG&Gを良く使ったのはカラオケが無いからで、2度と歌うまいと決めていたが、ついデカチョウおやじの誘いに乗ってしまう。酔いながらの細やかな配慮は、たいしたもので何時も感謝!

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花園回想 親達の群像 NO14

Sin前回のNO8と丁度逆の状態で写っている元ラガーマンで2006年組を支えた。あのイナリールグラウンドで記念写真を撮ろうとしている2006年組専属カメラマンのお2人だ。

信州も喬木村(飯田市の隣)出身のNO14sin君は父親と叔父に元ラガーマンを持つラグビー一家に生まれ、小さい頃からラグビーに親しんで、遂には父親”ラグビーおやじ”の大英断で清水市東海大付属翔洋高校ラグビー部へ留学する事となった。

ラグビーおやじは信州の名門進学校”飯田高松高校”ラグビー部(体格体形からしたらバックスだね)の出身だ。経済的にも時間的にも様々な困難を物ともせず、子供を清水の地に送り出した。

飯田から清水まではどう近回りをしても270kmはある。このロングディスタンスを全く苦にする事無く毎週の様に清水へ応援に駆けつけ、精力的に選手のサポート、写真撮影に動き回った熱き心のラグビーおやじだ。理論派のラグビーおやじは独自の理論の展開で我々ラグビー素人にラグビー啓蒙活動をしてくれて大変感謝している。

ラグビーおやじの想像を遥かに超えた2006年組とsin君の活躍は嬉しすぎる誤算で、花園で大きく開花したsin君の姿を見て全てが報われ、そっと涙した!

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