« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007年12月23日 (日)

マルチアンプシステム

Kaneta真空管からトランジスターアンプに移った時にマルチアンプが基本だった。6dbのパッシブチャンデバでバッテリー駆動の金田式アンプ群だ。鮮度抜群だがJAZZには線が細い。

3WAYでダブルウーファ、個々にアンプを備えるので片チャネルで4台、合計8台のアンプを作った。バッテリーは総数で200個位を使用して2、3ヶ月に交換を余儀なくされる。

水落にある松下の営業所と親しく、ネオハイトップ乾電池が、特別に市価の半額くらいで手に入ったがお金の問題ではなく、いつバッテリーが無くなるか気が気ではなく精神衛生上全く良くなかった。

そうこうしている内に先生自身がバッテリー駆動を止めてしまい、また海外のハイエンドに勝てないこともあり金田式を止めた。最初のハイエンドはジェフの#5だった、同時にネットワーク式に戻した。

|

JBL 2205B

2205bJBL4450BKを手に入れた時、ウーファーは2205Bが4発付いていた。迷わず4本をただ同然で譲った。

良いスピーカなんだが、なんせアルテック党だから仕方がない。勿体ないとゆう声もあったが、物は必要としている人が使うのが一番良い事だ。

JBLで我が家に長居したのは、LE8T-Hだけで、これに2405を組み合わせると流石JAZZになり気に入っていた。良いツイータがアルテックには無く、この2405が最後までアルテックを支え続けた。

|

2007年12月22日 (土)

ホッケンハイム2

Hocken2”わざわざ日本からジムクラークのお墓参りに来た!”と監視ポストのスタッフに告げてその場所までの1kmを歩き、お墓参りを済ませた。帰り際に挨拶するとそのポストのスタッフ全員が飛び出してきて握手を求められた。

みんな口々に何やら興奮気味に話しながらの握手攻勢で、気が付いたらもう時効の?チケットやらパンフレットやら両手一杯に握らされていた。その心ねが嬉しくドイツ人スタッフ達を一変で好きになった。

勿論会社が手配してくれたフランクフルト在住の日本人観光ガイドが一緒で、驚いたその観光ガイドがこれは一体何の事かと質問してきた。ハイデルベルクへ行く道すがら天才レーサー、ジム.クラークについて熱っぽく語った。ガイドは”日本人が来た時の観光案内の一つにしたい。是非チケットを分けてもらえないか”と抜け目ない!”ようがす”と気前良く半分渡した。

|

ホッケンハイム

Hockenこの16番ポスト付近の立ち木に激突炎上死した。丁度緑がきれいでゴッホの糸杉みたいな木がその場所で、木の根元にはこれまたきれいな黄色い花が偶然咲いている。

そんなうまい話などなく、全く訪れる人など居なくなった1996年の奇しくも4月にあんぷおやじが長年の思いを胸に訪れ、手向けた黄色い菊に似た花だ。

この時1968年4月、ロータスのジム.クラークは32歳で早すぎる天才レーサーの死であった。

|

2007年12月21日 (金)

花園回想 最後の戦い 番外

200612006年組+αの記念写真だ。ハムおやじ、GTIおやじ、から終いはデカちょうおやじ、ちゃおやじ、と懐かしい顔が並び、前列にはおやじ達が逆らえない、かみさん軍団が並ぶ。

しらすおやじが年長で兄貴と呼ばれ、最年長のあんぷおやじは長老になってしまった。

みやげ物を両手一杯に持っている訳だから、2006年組死闘の後帰り際の記念撮影になる。とても敗戦とは思えないにこやかで満足げな表情にたまげる。以来2006年組は花園2試合を肴に2007年1年間飲み続け、会長の”ちゃあおやじ”は早くも2008年の飲み会構想に入ったようだ。

|

2007年12月20日 (木)

花園回想 最後の戦い 15

Gyou15花園には確かに”何者”かが居た。その何者かの力にも後押しされ”事実は小説よりもドラスティックなり”を見とどけた。

あんぷおやじに残された仕事はあの密度の濃い時間と空間を切り出しキャンバスに記憶として止める事、そして語り継ぐ事だ。過去に遡るタイムマシンしか出来ないが、学校を訪れた時、瞬時にあの時間と空間に移動できるタイムマシンを表現した!

今年もいよいよ花園だ、どのようなドラマが展開されるか未来へ移動できるタイムマシンは存在しないからこそワクワクする。

|

花園回想 最後の戦い 14

Gyou122006年12月30日電光掲示板は12時5分前を指し示す。38対0、奇跡的なロースコアで30分ハーフ、60分の最後の戦いは終わった。

H多監督の試合後のインタビューで”春の選抜は大学生と小学生の差が高校生と中学生の差に縮まった、指揮官の力不足”と子供達をかばい結んだ。

サッカー王国静岡はラグビー不毛の地だ。野球少年、サッカー少年達を僅か3年に満たない期間で花園で強豪校に対抗できるまでに育て上げる。部員に”入ってくれてありがとう”とGyou13言うH多監督!

大観衆の前で辺りはばかる事なく泣き崩れる2006年組の子供達!この名勝負はみんなの胸に深く刻まれた。

引き上げる時、仰星側の応援団の何人かが”おめでとう、よくやった”と翔洋キャップのあんぷおやじに声を掛けてくれた。大阪人の、ラグビーファンの”おめでとう”の意味深さにたまげ、そしてその言葉に全てが集約された!

|

花園回想 最後の戦い 13

Gyou10seiyaが倒される!ryoが倒される!今までに見た事のない凄まじい倒され方だ。一瞬静寂感が訪れたような気がし、ゆっくりスローモーションのように再び起き上がる。立つのがやっとのダメージだが、見えない何者かの多くの手に支えられ歯を食いしばり仁王立ちした。

Gyou112006年組の親達には、どんな哲学書より意味深くそして感動的なシーンだった。

自分達に置き換えた時、はたして怒涛の如く押し寄せる難問に勇気を持って果敢に戦う事が出来るであろうか。もはや親の手を離れ、指導陣の手も離れ彼らは”勇敢な花園戦士”になった。

|

花園回想 最後の戦い 12

Gyou8後半戦もパワー.スピードが全く落ちない子供達だ。善戦に次ぐ善戦で仰星は反則にはまる。またしてもryo君はコンバージョンを狙いに行く。

後のテレビで解説者が”コンバージョンより攻めた方が良いのでは?”的な発言をしていたが、ラグビー素人のあんぷおやじはこのコンバージョンに共感した。1回目の失敗でむしろコンバージョンを狙いに行く方がよっぽど勇気がGyou9_2 いる。

あえて失敗を恐れず挑んだ勇気を評価したい。2回目が失敗なら3回目でどうだ!成功するまでやり続ける。これ が大事な事だ。

あ!ドロップゴールだ!意表を突く。壁に向かってひたすらボールを蹴り続けたサッカー少年が、花園の大舞台で子供の頃から一番得意だったキックを、伝家の宝刀を、遂に出した。

これも外れたが、3回目がだめなら4回目だ!成功するまで何度でも....何事もそうだが成功するまで決して諦めない、故に成功しか残っていない。

|

2007年12月19日 (水)

花園回想 最後の戦い 11

Enpuku enpuku先生が見守る中、戦いは益々激しさを増す。ラグビーは”崇高な魂”が必要と教えられたenpuku先生の教え子達は、彼らの魂が”小さな魅力ある塊り”になり大いなる力を発揮し続けている。

カメラのファインダーをのぞきながら、その先にenpuku先生の腕組みした姿を見た瞬間、その言葉を思い出した。あ、そうか!1年間ラグビーの試合を見続けてきて、この最後の試合で初めて”崇高な魂”の意味する所が見えた。

enpuku先生はその後甲府の付属高校へ赴任されて行くが、良い時代に良いメンターとめぐり合えた2006年組の子供達は幸せで、それら全てが偶然と呼ぶには余りにも足りず”大いなる意思が働いた”としか言いようがないのだが....

|

2007年12月18日 (火)

ビル.エバンス 2

Evans2若旦那が置いていったモントルーJAZZフェスティバルの紙ジャケット盤は、リマスターが素晴らしく手持ちのCDより遥かに音が良い。元々このライブ盤は奇跡的とも言える良い録音で、アンセルメのスイスロマンドオーケストラが良い録音だったように、スイスには凄腕エンジニアが居るのだろうか。

まあいつもの事だが”全く同じCDやレコードを一体何枚揃えれば良いのだ!”とこうなる。

Evans3CDの登場時には、デジタルは同じ音になると先生方が言われ、一応信用して”やれやれこれで道楽も終わりか”と思いきやもっとひどい状況で、デジタルは猫の目みたいにころころ音が変りアナログよりよっぽどお金が掛かる。

左の紙ジャケ盤が20bitのADコンバータを使用し、右の手持ちCDはマスターテープをAMPEXで回しADコンバータはdcs24bitを使ったとある。20bitの方が圧倒的に音が良いのだから、答えは簡単で分解能には関係なくリマスターの機器構成とセンスで音が決まる。大体が24bitの世界は理論分解能がー144dbもあり、空気中のチリより細かい世界でどうにもならんね!

先日ビル.エバンスの事を調べていたら、極めて明快に書かれている上品なブログにたどり着いた。解説は大変参考になる故ビル.エバンスファンは一読されたし。 

URL http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/

|

2007年12月17日 (月)

ビル.エバンス

Evansビル.エバンスは軍隊時代に薬に手を出したとある。チャリーパカーが薬漬けであの天才的演奏が出来た事でJAZZミュージシャンは薬に対して肯定的になったとも記されている。参考文献:ピーター.ペッティンガー著ビル.エバンス

原点がクラッシックを学んだピアニストで最初っから違和感無しに聴けた。マイルス.デイビスのクインテットでは7ヶ月しか在籍しなかったが、黒人から差別された事実には驚かされる。ジョン.コルトレーンはビル.エバンスを無視し続けた。

この時の経験から自分のトリオではサイドメンが2人とも黒人になる事は無かったようだ。画像の名盤”ア.シンプル.マター.オブ.コンヴィクション”でもシェリーマンは白人でエディ.ゴメスが黒人だ。エディ.ゴメスは4、5年前に藤枝ジェノバへ来た時聴きに行った。

|

花園回想 最後の戦い 10

Gyou7人間は長年の習性、習慣からなかなか抜け出せなく無意識に従来の行動をとる。デジカメになってから何枚撮っても同じなのだが、つい撮る枚数を限定してしまう。もっと写真を!と悔いが残る。

奇跡は起きないし起こせないが近い事は起きる。この試合がそれを表し、奇跡的にと形容されるスコアだ。前半を終えて19対0、1回戦での土佐塾戦の逆の立場を想定してしまう程の力の差があったが、よく耐え凌いだ。

後の子供達の回想を読むと”試合を楽しんだ”とあるが、そこなんだね!その子供達は何度も辛い練習に止めたくなり、しかし仲間同士の励ましあいで持ちこたえた。きっかけは千差万別なんだろうが、一旦取り組んだラグビーでその素晴らしさを確実に理解し、好きになったが”楽しむ”はなかった。

開き直りでも特攻隊的精神でもなく、好きなラグビーを素直に”楽しむ”無欲さと雑念のなさがこの最後の試合を支配して、奇跡的とも言えるスコアになった。

|

2007年12月15日 (土)

ベイシー紀行 12

Basie

ド派手な車でマスターの幼馴染み、呉服屋の若旦那が車を横付けにする。次々に登場する”現世から遊離した超人物”に圧倒される。若旦那のファッションはまさにモダンボーイで格好いい。

マスターが中央のお洒落を持ち込んだのか、一関がそうゆうお洒落な町かは知らないが、地方都市でも中央に引けをとらない事に、おおいに共感した。そのド派手な車は富山の光岡自動車のものだった。

JAZZで訪れたが、それ以外でもマスターの人脈の面白さにたまげ、凄い人である事が分かった。仲間がみんな集まりJAZZ宴会が始まった。

|

2007年12月14日 (金)

花園回想 最後の戦い 9

Ryou1最初のペナルティでは最重量級90kgのkanou君が突進したがはじき返された。相手は110kg超!2回目のペナルティではゴールを狙った。この距離でのryo君は、まず外す事はないがゴールならなかった。

彼らは創造者だった。135m x 73mの花園第1グラウンドとゆう巨大なキャンバスへ縦横無尽に走り描いた。それぞれのタッチは生き生きして二度と見る事の出来ない輝きを増し、あの密度の濃い時間の中に厳然と存在した。

ryo君のコンバージョンキックはボールが放たれた瞬間から自由に開放されて大いなる筆跡を残した......

|

2007年12月13日 (木)

花園回想 最後の戦い 8

Gyou5genちゃんが追う、wataruが追う。快速バックスは仰星に引けをとらない。18分過ぎにy中君の個人技によるトライで先取点を許す。しかしコンバージョンはsin君が体を張って阻止した。うなだれるy中君!

全く何が起きるか分からない試合で、自在になんか写真が撮れない。ゴルフみたいにハンディがないのだから実力差は如何ともし難いが、素晴らしい翔洋の戦いだ。

県大会決勝戦のインタビューでH多監督が”フォワード強化してシード校に対抗出来るようにします”と言っていたが、1ヶ月で進化するなんて我々の業界では考えられない。監督指導陣が凄いのか2006年組子供達が凄いのか、確かに進化していた。

怪我の恐怖、そして克服。常勝軍団の敗戦に対する弱気など様々な恐れを乗り越えたこの戦いは、子供達が真の勇気を手にした証でもあった。

|

2007年12月12日 (水)

T野さんの事

Tomonoドッ!ドッ!ドッ!と低い唸り声が聞こえる。あ!T野さんだ。マスタング.マッハ1の7000ccOHVエンジンの唸り声だ。無造作にアクセルを踏むと強烈なホイルスピンであたり一面が白いタイヤの煙に包まれる。30数年も前の事だ。

ホンダのマイク.ヘイルウッドに憧れMVアウグスタにシビレ、極めつけはロータスのジム.クラークだ。時効だから言うが、H社構内は試作工場近くにジャリの具合のいいコーナーがありそこでドリフト走行の練習をした。

T野さんは車の板金屋さんを営んでいて、車好きのあんぷおやじはいっぺんで仲良くなり以来のながーいお付き合いだ。レーサー星野一義さんの相棒で、カートレースには連れて行ってもらい紹介もされた。

T野さんの話を始めたら紙面が幾らあっても足りないが、10年ぶりに尋ねて来てくれた、感謝だね!お互いそれぞれ苦労はしたが、顔を見た瞬間に昔のまんまのいたずら小僧風な人なっこい笑顔はそのままで、10年の空白が瞬時に埋まったタイムマシンだった。

|

2007年12月11日 (火)

花園回想 最後の戦い 7

Gyou4相手の布陣を読みウイングsin君が指示を出しseiya君とtuyosi君が対応する。フォワード陣はスクラムの準備に入る。

人間にはどんなテクノロジーを持ってしてもタイムマシンは出来ない。自由に時空を越えて旅が出来たら....多分未来を見てしまった君は何もしなくなる。見えないから良いのだ。見えないから想像逞しく努力する。

人間に唯一できるタイムマシンは、見てしまった過去に遡り思いを馳せる事だ。時にはこうすれば良かった、ああすれば良かったと思いに浸るが今選んだ道が最良の道なのだ。タイムマシンが過去も未来も確実に道を指し示す!

しかしこの戦いはタイムマシンで過去に遡っても、今との時間のずれは全くなく、一体いつの事だったのだろうか?

|

ベイシー紀行 11

Dango1とにかく凄い団子屋だ。何が凄いって詳しくは言えない、尋ねてみれば分かる。

ベイシーから20分も車を走られると、磐井川両岸に奇岩の連なる渓谷がある。ここが厳美渓(げんびけい)でなんたって空飛ぶ郭公(かっこう)団子が名物だ。団子屋から対岸の東屋にロープが結ばれていて、団子を入れたかごがスルスル送られる仕組み、お金はこのかごに入れて返す。この”かっこう団子屋”のご主人がマスターの幼馴染のc葉さんだ。

団子屋の入り口には、どこぞの放送局かと見まごうばかりのプロビデオ機材で埋め尽くされて、およそ田舎名物団子屋には似つかわしくない。

ベイシーの音にもたまげたが、紹介していただく人々の”現世から遊離した超人物”にも大いにたまげた!

|

2007年12月 9日 (日)

花園回想 最後の戦い 6

Gyou この向きでスクラム組むと翔洋の1番I原君と仰星3番N川君がぶつかり会う事になる。手足の太さと胸の厚さを比較すれば一目瞭然で、如何に凄い連中と試合したかが分かる。

体のでかいスポーツなら大相撲で、横綱相手でも万が一奇襲作戦でも成功すれば勝つチャンスはある。ラグビーは30分ハーフ60分戦う訳だから1チャンスでは勝てなく、それだけ”越える”は至難の技なのだ。

15分が過ぎ前半の折り返しだがまだ無得点だ。凄い!一体この試合はどうなるのだろうか?

|

2007年12月 7日 (金)

花園回想 最後の戦い 5

Gyou2表裏一体とゆう言葉がある。フェルメールの光と影もそうだが、裏側に、影側にチャンスがある。

ryo君が土佐塾を引き当て、次に監督曰く”絶対に当たらないだろう”の仰星を引き当てた。だが指導陣は勿論2006年組の子供達、親達はこの事実に燃え上がる。ヤマハの試合を見ていたtuyosi君はみんなに声を掛け”戻り練習しよう!”この姿勢だね。

グラウンドの子供達は心に何の迷いもなく純粋になれた瞬間で、長い人生でこの様な体験は2度とないだろう。JAZZシンガー阿部さんの息子さんが、花園でもう体が動かなくなった瞬間に光が”進むべき道”を示したと同じ様に、彼らは彼らを越えた大いなる意志の力に導かれ、ある部分で無意識のうちに動いていた。後でビデオを見ればそうとしか思えない。

どんな局面でも純粋に努力すれば道が開かれる事を証明してくれた。今年も同じく対戦相手が九州の強豪だ。これをチャンスと捉えるかどうかでベクトルは180度方向が変る。決めるのは君達だ!

|

2007年12月 2日 (日)

花園回想 最後の戦い 4

Gyou1 まるで翔洋の選手達が湧いてくるように密集へ集まる。早い!今まで見た事のない速度だ。倒されても々直ぐに起き上がりもう次のポイントへ移動している。仰星の3番君は118kの巨漢プロップだ。でかい、まるでゴリアテに群がるアリの如しだ。タックルにいってもゴムマリのようにはじき返される。

だがこの歴然とした体力差はほとんど関係なくむしろ翔洋が押している意外な試合展開だ。

もしや、まさかと瞬間思い鳥肌が立つ!

見ている親たちは”けなげな小さな巨人軍団”の熱き戦いに感動し、興奮していた。僅か18歳の子供達が花園第一グラウンド超満員の観客に多くの感動を与え魅了している。

何でも知っている、経験が多い、生きる事に自信を持っている我々親達は、

はたしてどれだけの多くの人々にどれだけ多くの感動を与えた事ができたのだろうか?

|

2007年12月 1日 (土)

花園回想 最後の戦い 3

Finl2ryo君のキックで試合開始だ。全てがこの1点に集中され時間の密度は体が押しつぶされるほどの重さを持ち、光の速さで思いが花園を駆け巡る。

”気持が”などと気楽に言うが気持を前面に出して戦う事は滅多に出来るもんじゃあない。前夜のH多監督は対戦相手に体力技術で劣る分、子供達の魂に揺さぶりを掛けたのだろう。

たった3年間のラグビー生活で社会人の10年分、いや比較にならないほどの魂の鍛錬をしてきた。だが魂にはサイズがなく現代科学では測定できない。そしてその鍛錬は体力、技術の時間を掛けて出来上がるものとはチト違い、前夜の一晩で瞬間的に2倍にも3倍にもサイズが大きく成長したのであった。

最後には魂が技術を越え見るものに大いなる感動を与える!

|

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »