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2008年6月25日 (水)

シリコンバレー その5

K1752トランジスターは石で出来ている、故に第2次石器時代と呼ばれている。ミニットマンミサイルの開発では高温に耐えるトランジスターの開発が必須となり熱に弱いゲルマニュウムトランジスターに代わりシリコントランジスターが生まれた。

偶然か必然か分からないが地球上いたる所にふんだんにある珪石(シリコン)が原材料で原油の二の舞にならなくて良かった。実際には純度が問題になる為ノルウーとブラジルが主な産地になる。

ベル研でトランジスターを発明したウイリアム.ショックレー博士はノーベル物理学賞を受賞するが、ICを発明したロバート.ノイスやジャック.キルビー更には世界初のマイクロコンピュータ4004を作った静岡の嶋さん等は半導体世界に革命を起こしたがノーベル物理学賞にならない、なぜ?

ジャック.キルビーは2000年にノーベル物理学賞受賞。

パロアルトにショックレー半導体研究所跡があった、その近くにはフィアチャイルド.セミコンダクター本社跡もあったが、迂闊にもJAZZ聞きたさでルート101をすっ飛ばし何度も通り過ぎてしまった。

まあいいか、シリコンバレー巡礼の旅にもう一度行け!とゆう事か。

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2008年6月23日 (月)

288C

288cALTECの288Cはインピーダンスが24Ωでたまげてしまう。現在稼動中の288-16Gは型番の通りで16Ω、共に真空管アンプ時代のテクノロジーである事が分かる。

憧れの288Cだったがわずか1年で288-16Gに取って代わられスマン事をした。これらのドライバーの明らかな問題点はボイスコイル引き出し線で、銅の薄い平板で端子まで出しているが金属疲労で折れてしまう。これをドライバーが飛んだと決め付けてしまうが、本体は異常なく引き出し線のみのトラブルだ。

点検で分解してみたら見事なダイアフラムだが引き出し線に修理の痕が見られ、これだけ古いドライバーだからオリジナルのダイアフラムの入手は困難なんで修理するしかないのだろう。

マグネットが余りにも強力で下手に修理したら半田ごてが磁石で吸い寄せられダイアフラムに穴を開けてしまう、修理される方は十分に注意してください。

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2008年6月21日 (土)

シリコンバレー その3

2sb6381969年春、晴れて研修が終わり研修発表会で最先端の半導体用語を並べて工場幹部の注目を浴びる。田舎清水では聞くことの出来ない最先端テクノロジーに少し触れただけ。自作オーディオは真空管アンプだが仕事はトランジスターとゆう切り分けをしていた。

Geaゲルマニュウムトランジスターでは世界をリードした日本だったが、ケネディ大統領が提唱したアポロ計画でアメリカはシリコントランジスター化へと一気に進化して日本は遅れをとる事になった。画像はGe.Aゲルマニュウム合金型トランジスター。

テキサスインスツルメンツのICやフィアチャイルドのICは既に存在していたが、田舎清水では情報も入りにくく何年かはトランジスターでロジックを作った。シリコントランジスターの出始めで漏れ電流が大きく安定した動作を確保する為に、ベースにはー12Vの逆バイアスを加え温度上昇時の漏れ電流対策とした。

1969年7月20日アポロ11号は大量のICで作られたコンピュータで月面着陸から無事帰還を果たし、あんぷおやじ達はトランジスターロジックを作りながらTVに釘付けだった。

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2008年6月20日 (金)

青木弘武ピアノトリオ

Hiromu 7月5日は青木弘武ピアノトリオコンサートがマーカムホールで開催されます。

親しくそして尊敬するピアニストの青木弘武さんとは1年ぶりの再会、今回はオスカー.ピーターソンをかけましょう。友人のドラマー力武誠君、ベースの生沼邦夫さんとは3月以来の再会だね。ボーカルの溝口恵美子さんは初お目見えでどんなボーカルか楽しみデス。スインギーで陽気なこのピアノトリオはJAZZの楽しさを余す所なく伝えてくれて理屈抜きにエンジョイできます。

7月5日は午後2時頃から”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”へメンバー全員が来店しコーヒーブレークとALTECシステムのJAZZ談義です、お話ししたい方はご来店下さい。

チケットは当店でも取り扱っています。

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2008年6月19日 (木)

シリコンバレー その2

Bay13San Jose(サンノゼ)がシリコンバレーの中心地になる。仕事場はFremont(フリーモント)でルート880でサンフランシスコを目指すか、遠回りだがLAにも通ずるルート101でサンフランシスコを目指す事になる。いずれにしても1時間程度の移動時間で夜な夜なサンフランシスコに出没した。

この時から遡る事15年、ビジコン社を退職した嶋さんはリコーに在職していたがインテルの強力な誘いで再びマイクロコンピュータの開発で渡米した。1970年代の事で当事者が存命中にもかかわらず諸説紛々で実の所は我々は知るよしもないが、ロバート.ノイスが引き抜いたとも言われている。

確かにインテル最初のマイクロコンピュータ4004は革命には違いないが余りのとろさに参ってしまい、開発はさして進まず目前のプロジェクトはTTLロジックで組み上げる始末だった。だが遂に8080の登場で本格的に取り組む事が出来るようになった。

80802ボスのロバート.ノイスは嶋さんに一人で8080の開発をするよう指示した。先駆者も”一人プロジェクトX”を実践していたのだ。

開発者の特権で静岡市で呉服屋を営む嶋家の家紋をマスクパターンに刻印したとあるが、我々が入手できるパターン図には無く初期時代のマスクのみだったと推察できる。

40044004から8008はピン数を節約した為使いづらく結論は”夢を買った”としておこう。

だがその”夢”のお陰で30年もの長きに渡り寝食忘れ今日も難解なCPUに挑む。

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2008年6月18日 (水)

シュテーデル美術館4

Sta_2Philipp Veit の作品とゆう事になっているが、初めて見る作者で19世紀の作品。肖像画だがカメラが発明され写真に変わリつつある時代背景があり、細密描写の極致に思える作品です。

毛皮の表現はチョット描けん!と思わせるような描写力で、特に写真に撮ってしまうと筆のタッチが見えずどの様に描いたか見当がつかない。この時代はレース、髪、毛皮などの表現に腕前が現れ競いあったのだろう。

Oilシュテーデル美術館のパンフレットをなくしてしまい作者が不明ですが、大作でこの絵の前に一番長く留まった。

現在インターネットで調べてもこの作品は美術館のライブラリーには載っていない。

布の質感は素晴らしく、もっともこの辺りは好みの問題もあるが、絵に触れんばかりに近づき筆のタッチを凝視した。写真では筆のタッチは殆ど消えてしまうが、実物は200号以上の大作で良く分かり大変参考になった。

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2008年6月16日 (月)

スイート.ベイジル

BasilJAZZのはしごで結構遅い時間に訪れるが満席に近い、ステージの真ん前に席がありラッキーだった。JAZZ好きな日本人が多く訪れているのか、ウエイトレスが気を利かしてくれたのだろう。ツバキが飛んでくる席とはこの事でエイブラハム.バートンの汗が飛んできた。

写真撮影は比較的ゆるくと勝手に決めてストロボなしで堂々と撮った。ステージったって同じフロア面で境はない。流石にミュージシャンに見えるためウークマンプロのWMD6Cを回して録音する訳にはいかなかった。

今は無きスイート.ベイジルの熱きJAZZの思い出デス。

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2008年6月13日 (金)

謎めいたJAZZ喫茶AMP工房 その25

Altec元に戻せない物の中にやっかいな音がある。

過激にやりすぎてしくじり”あの時の音は”と後悔するが先にたたず。だいたい消えてなくなった”あの音”はもう無いのだから贔屓目に良かったはずだ!と勝手に決めつけ少なからず後悔する。

JAZZピアニストのユキ.アリマサさんが開口一番”どうやってこのスピーカをここに入れた?そうなんです、出すときは解体しかない。

重さで勝負なら誰にも負けない、上下に特注のラスクを張り付けJBL4550BKホーン内部は10kgの乾燥砂を30袋詰め込み300kgに本体の200kgを加算して1本500kg、2本で1t近いのだから負けっこない。

JBL 4550BKダブルウーファ箱,ALTEC 515Bウーファx2,ALTEC 228-16Gドライバー,ALTEC 1003Bホーン,GAUSS 1502ツイータ,JBL 2405ツイータ,

JBL & ALTEC の諸君やり過ぎでスマン!  

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2008年6月12日 (木)

JAZZドラマー 藤井摂さん

Fujii昔(昭和40年代初め)、清水に後に事件で有名になるキャバレー”ミンクス”があり大きなステージで連日お客さん向けでライブをやっていた。時々え!っと思うくらいの大物歌手も出演していてたまげた。

時効だから言うがh社の優しきjazz先輩はドラマーでジャック.ディジョネットに傾倒していて暇さえあればスティックを叩いていた。その彼が”ご法度”のアルバイトドラマーでミンクスへ出演していた。

時々ショーのある時は楽屋へ連れて行ってもらいjazzライブを楽しんだ。当然お店の入り口から楽屋まで移動するが、きらびやかに着飾った女の子達に目をぱちくりさせながら楽屋を目指した。

身近に居たセミプロドラマーはドラムにおける手首の柔軟さの重要性を盛んに説いた。

前置きが長くなった。バークリー音楽大学出身10年間アメリカで活躍したjazzドラマーの藤井さんはきめ細かなドラミングで凄い。手首じゃあない、勿論手首は重要なんだろうが指で縦横無尽にスティックを操りマジシャンの如く変幻自在なドラミングだ。迂闊だったドラムは指か!

エルビン.ジョーンズさんの話をした時”エルビンに会った時体中に電流が流れ直立不動になった”と話す感性豊かなjazzドラマー藤井摂さんでした。

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2008年6月11日 (水)

謎めいたJAZZ喫茶AMP工房 その24

Ampkoubou時差ぼけに弱いボスは勿論JAL便ビジネスでLAに向かう、夕方発なのだ。経費節約であんぷおやじはディスカウントのあるコリアンKE002便ビジネスでLAに向かう、午後1時過ぎ発でLAには早朝7時半頃着く。

空港ロビーから出ると乾いた空気が押し寄せママス&パパスの夢のカリフォルニアが頭を渦巻き、さあー仕事だ!

出張の支度をしていると珍しく若旦那が訪ねてきた。開口一番乾いた音で良い!そうかSAE2600は乾いた音でウエストコーストサウンドか、途端にLAへ通った乾いた空気を思い出した。

先日アルト奏者が訪ねてきてLAでは音が良く飛んだが日本は湿気が多く音が飛ばず困った、と聞きJBLもALTECも会社がLAで音飛びが信条のスピーカとゆう事。

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2008年6月10日 (火)

JAZZピアニスト ユキ.アリマサさん

Yuki久しぶりに骨っぽいJAZZピアニストの出合った。バークリー音楽大学在学中にデュークエリントン作曲賞などを受賞、バークリーのピアノの助教授を務め、アメリカでは14年間の長きに渡り活躍して帰国。現在自己のトリオ結成、またプロフェッサーでも活躍している。

ユキさん、誰に傾倒してます?これ!....丁度ビル.エバンスのモントルー.ジャズフェスティバルがかかっていた。

ユキさん、ピアノはスタインウイじゃなければJAZZでないと聞いていますが?”いやそれは別で調律をきちんとしたものはY社のTでも凄い音が出るし、スタインウイでもダメな場合もある”

ユキさん、スコット.ラファロのベースは最近ゴリゴリで力強い事に気が付いたが?”ただ音は小さかったと聞いている”とゆう事は録音技術か?

演奏はたまげた!バド.パウエルみたいに中空を見つめながら、ビル.エバンス風ではなくてオスカー.ピーターソンみたいに勝手に手が鍵盤の上を転がり次々音をつむぎ出す。上手いピアニストとはこうゆう事なんだろう。

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2008年6月 8日 (日)

SAE2600修理 その2

Sae26001この部分が対称差動増幅器のpチャネルトランジスターペアで多分オリジナルだろう。塗料がかけられ型番が分からないようにしてある。お隣のpcの大きいトランジスターは東芝製で一応型番はあるが当然廃止品種になる。

初段は2sa798と2sc1583の金田式トランジスターに交換して安定度の向上を図る。2段目のs1375は2sc4935、s1376は2sa1869が互換だが、ここは常用のNEC2sa1006と2sc2336に交換する。周波数特性が良く耐Sae26002 圧が高くpcの大きいトランジスターはそうそう条件が揃わず難しい。

オフセット調整をする為にオシロのレンジを100mvにする、え!波形が滲んでいる。拡大すると右データの波形で周波数200nsecとゆう事は5Mhzで発振している事になり、信じがたい。

さあ発振対策に掛かろう!

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エルビンのスティック

Elvin2ndステージに変わる、ベイシーのマスターは我々仲間をエルビン.ジョーンズさんの真ん前に座れるよう席を用意してくれた。それから10年が過ぎ、エルビン.ジョーンズさんはもう居ない。ポンティアック3兄弟もハンク.ジョーンズさんだけになってしまった。

JAZZ史の残る巨人が真面目に一生懸命演奏してくれる姿に感動して、そして歌うドラムに更に感動して目頭が熱く目がかすみ、だがズルズル前に押し出されるバスドラを足で押さえその鼓動を直に感じた。恒例になっている大晦日ベイシーライブの事であった。サービス精神旺盛なエルビン.ジョーンズさんは演奏が終わった直後、演奏していたスティックを家人に渡した。

Riku”りく”君に再会しエルビンの事を話すとYtubeで見ていると答えが返る。ギタリストのおとうさんについてライブへ出掛け、小さい頃から音楽浸けで父親譲りのギタリストではなくドラムマーになった。

12歳で中学1年生、凄い少年が現れたものだが何より素直さに感心する。ご両親の教育が良かった、そうゆう事だろう。

宝の持ち腐れの家宝”エルビン.ジョーンズさんのスティック”はどうやら居場所を見つけたようだ。

モノは必要とされている所へ自然に行くもの!

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2008年6月 6日 (金)

トライを捨てた4番ロックのトライ

Tri2 性格は優しく末っ子の割には気働きができてコツコツ努力するタイプ。ラグビー部に入る事について別段反対もしなかったが諸手を上げて賛成もしなかった。2度目の鎖骨骨折の時は流石に止めさせようかと思った。

人生は奇想天外の予測不能で、ラグビーで花園まで行き名勝負を演ずるなど春先から誘われて応援に行き始めた頃は、全く見えない世界だった。過去へ遡るタイムマシンは、かろうじて思いを馳せる事で出来るが未来には全く移動できず、それ故夢を見る事ができる。

2006偶然いや違う、大いなる意志が働いたとしか言いようがない2006年組の出会いで、この素晴らしき仲間だからこそ自分の居場所があった、そうゆう事なんだろう。

ボールよりもひたすらタックルに自分の居場所を見つけ、相手が強ければ強いほど闘志を燃やす。たとえ負け試合でも関係ない、如何にタックルで相手を倒すか倒せるか、そこが勝敗だ。

ryou君が”行け!”とボールをkeisukeに渡す、間髪入れず飛び込みトライ、とあんぷおやじは聞いていたが新聞記事には密集から飛び出しトライとある。スコアブックにはtuyosi君のトライとなっているため公式記録には4番ロックのトライは無い。

2006年9月3日国体予選決勝戦、県選抜チーム静岡対三重の試合で準優勝だった

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2008年6月 5日 (木)

アイルトン.セナの墓

Sena先ず目に付くのは、たった1軒しかない粗末なほったて小屋でみやげ物を売るおばさんだ。粗末...こうゆうのに弱く迷わずセナキャップを買う。

みやげ物屋を出ると画像正面に見える丘陵地帯全体が墓地で、セナのお墓も1枚の銅のプレートが墓標で他の人々と何も変わらず、あの有名人がこの墓標と驚かされる。ただ違いは供えられた花が多い事でこの頃は世界中から墓参りに来ていたのだろう。

F1ホッケンハイムに展示されたセナのF1マシン Lotus99T Honda Turbo 1500cc ツインターボ 1000馬力

ジム.クラークとアイルトン.セナの墓参りは終わり、後はMVからホンダへ移籍してRC165(250cc6気筒4バルブ)を操ったマイク.ヘイルウッドの墓参りであんぷおやじの旅は終えるのだが...

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2008年6月 4日 (水)

SAE2600修理

Sae2600設計者が一番偉いと評価されがちだが、修理担当者の方がもっとえらい(えらい=大変)、なぜならば修理担当者は設計者の思想を読み込む必要があり、頭脳明晰を要求される。

SAE26003台の修理は、良く分からない修理が施されて、多分来歴が違い修理場所が違うとゆう事だろう。ヘッドのペアトランジスター金田式もどうやらオリジナルと違うようで修理屋の仕業のようだ。1台ペアでないトランジスター(型番不明)がオリジナルだろう。

回路の頭は対称差動でDCではなくカップリングコンデンサを使用しているが、これも無造作にニチコンに交換してあり、オリジナルがかなり破壊された修理状況だ。

よって”えらい”事が判明してこうなりゃあ毒を食らわば皿までで、あんぷおやじ流部品の搭載修理にしよう。とゆう訳で本当の音?がちょい怪しいまま前進あるのみ!

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聴く鏡

Basie1最近は一関ベイシーへ行っていないが、マスターには愛読書”聴く鏡”で時々会っている。天才とはかくあるべきもので音もさる事ながら文体、表現力は格別でへたな直木賞作家よりも面白い。

決して他人に押し付けるのではなく、独自の切り口で共感を呼び込みそこに非凡さを見る。だが百聞は一見にしかずで一度音を聴いておくべき、マスターに会っておくべき、そこで初めて文体、表現が理解できる。

音の世界はお好きにどうぞだが”寝食を忘れ人生を賭けた”音は好き嫌いを越えた何かがあり、それに気付かされる。

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