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2008年7月31日 (木)

シリコンバレー その19

Ic2 クロック同期などとゆう概念は無くてシーケンシャルな動作が当たり前な時、IC回路はかなり進化していて体験する事全て未知との遭遇で難しかったがあんぷおやじ達の技術は飛躍的に進化した。

なーんだそんな事も知らないの!と言われてしまうが学んでいないモノは致し方ないし田舎で情報を握っているヤツも居なかった。なんせコンピュータはデジタル計算機とアナログ計算機がありこれからはデジタル計算機が主流になると学校では学んだ程度。

日本のビジコン社の発注した卓上電子計算機用のICは種類が多く、インテルを設立したばかりゴードン.ムーア達はたまげて思案した。コンピュータは既に世の中には沢山あり、その中核の部分をマイクロコード内蔵のIC化する発想はなく、インテルのテッド.オフは遂にそこにたどり着いた。

1969年の事で大阪万博1年前、正式配属も決まり希望に燃えている頃、シリコンバレーでは20世紀最大の発明”マイクロコンピュータ”がまさに産声を上げようとしていた。

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2008年7月30日 (水)

シリコンバレー その18

Dram1968年フィアチャイルド.セミコンダクターを辞めたロバート.ノイス、ゴードン.ムーアは新会社を設立した。その名前がインテル(intel)でインテグレーテッド.エレクトロニクスから導き出した造語だ。

AMP工房のカンパニーネームはクラフトロニクス(craftronics)でクラフトマンとエレクトロニクスを合体した造語で電子職人を目指す。

何を作ろうかと思案したゴードン.ムーア達は半導体メモリーに決めた。だから最近までインテルはメモリーに拘り続け、あんぷおやじ達も随分インテルメモリーにはお世話になった。世界最初の半導体メモリーは巨人IBMで、それに続いたがなんと64ビットだ。使用トランジスターの数は分からないが64x2=128個でこの2,3倍の数が使われていたと想像できる。8ビットで考えれば僅か8バイトのメモリーがスタートだった。

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2008年7月26日 (土)

電源

Power初めてクルマを乗り始めた昭和40年代の前半はフロントウインドウがオイルで汚れる事は殆どなかった。それが何時しか路面に多くのオイルが付着してウインドウに付き掃除が大変になった。

1980年代後半にアメリカへ行き事務所へ業者が水を運んでくるのにたまげた。今では日本でもコンビニで水を売るのが当たり前になった。

何時とは言えないが何時しか電源が汚染された。当時のデータを持っていないので事実をお見せできないがオシロスコープを買い喜び勇んで見たのが電源波形で美しいサイン波だった。たしかデジタル時計を作ったとき電源の60hzをカウントさせる為に電源を良く観察した時もサイン波だった。

モータなどL(インダクタンス)負荷が増えると位相が遅れてしまい皮相電力(無効電力)増え、対策に進相コンデンサで力率改善したって波形は乱れなかった。

今の電源は画像の通りで原因がスイッチング負荷による歪みなのか?最近の電力事情に詳しくないが、この波形では間違いなく複数次高調波で音に影響がある。水に浄水器が付いたように電気にも浄水器が必要で、この改善は重要なのだが未だ方策は見つかっていない。

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シリコンバレー その17

Mry研修発表会の後正式配属になるが、あんぷおやじの場合は工場側も迷い無く電気係制御担当に配属になった。特殊部署で課が無く部長直轄の係だった。

当時の制御の主役、リレー回路の設計を始めるが1ヶ月もしたらこのまんまやっていたって大した進化はないなと思い始めた。AND.OR.NOT.FLIP.FLOPの積み重ねがリレー回路で大規模になっても変わらない。

デジタルコンピュータの基本は前述の論理で、リレーによる電気卓上計算機も作られた位だから、リレーも真空管もトランジスターも親戚みたいなモノだ。違いは大きさと速度と信頼性と音と消費電力、そんだけ違やあ別モンじゃあないか!

Pointウイリアム.ショックレーは、くだんのFETで弟子たちに手柄を横取り?された悔しさをバネに、それまでの不安定極まりない点接触型トランジスターを根底から覆す接合型トランジスターの理論を作り上げた。ベル研3人の博士の功績でトランジスターとFETは基礎が出来上がり一気に電子革命に突入した。

画像はBell研の点接触型トランジスターの復元モデル。画像出典”ベル研”

生産ラインの制御は信頼性が一義で冒険は出来ない。いきなりのトランジスターの使用は避け、超小型の高信頼性リレーを使う事にして、タイマー回路のみトランジスターを使った。特注の基板にリレー、トランジスターをマウントしその数500個程、冒険はできないと言いつつ新人にしては無謀とも言える冒険をしてしまった。安定度、信頼度は抜群で接点式では究極とも言えた。

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2008年7月24日 (木)

シリコンバレー その16

Fd1840研修報告会でFET(電界効果型トランジスター)にも触れたが工場幹部はチンプンカンプンのようであった。しかし新入社員として工場幹部へのアピールは成功した。

画像は金田式で有名なソリトン社デュアルFET,FD1840で差動アンプのトップに使う。

学校では真空管回路を学んで理解はしたが、トランジスター回路は余り授業に出ず記憶に残っていない。ハムの友人と”電子工学のm先生はトランジスターの事は分からないじゃあない”等と陰口を叩いた。ビートルズが初めて来日した1966年の事だった。

アメリカは厳しい国でウイリアム.ショックレーがFET(電界効果型トランジスター)のアイディアを出したが実現には至らず、弟子のバーディーンとブラッテンが完成させ手柄はこの2人のモノになり特許も取得した。

ウイリアム.ショックレーにしてみれば弟子に横取りされた!と相当なショックがあった事だろう、日本ではまずあり得ん。

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2008年7月21日 (月)

コルトレーンの命日

Coltrane1967年7月17日ジョン.コルトレーンは40歳の生涯を閉じた。当時はJAZZの聞き始めでコルトレーンの最後期インパルス盤は難しかったが、今は聴けるようになった。

日本では後追いで旅立った人も居て社会現象にもなった。晩年、前衛に傾倒していったジョン.コルトレーンを世界中で一番理解し歓迎したのは、日本の熱狂的コルトレーンファンだった。

同年コードネーム317670052でh社へ入社して、なお更強烈に印象に残った。

正統的JAZZ喫茶ではないが7月17日から毎年コルトレーンに因んだ音源を入手して1週間夜昼無く流しっぱなしにしている。今年は何枚目かの”kind of biue”を新しく手に入れマイルスバンドでの最高のコルトレーンを聴いて偲んでいる。

ビリー.ホリディには申し訳ないが同じ命日でコルトレーンになる為何も出来ん、スマン!

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2008年7月20日 (日)

ビル.エバンス

Evansベイシー椅子の名前でビル.エバンスを取りそこなった事は前に書いたがそりゃあ当然で日本、いや世界中で一番多くの人々に愛されているJAZZピアニストだと思う。

不器用で満遍なくクラッシックを聞くタイプでも無く知識も無いがバック.ハウスの力強いピアノは好きで良く聴いていた。そこへビル.エバンスが登場して何の違和感も無しに聴くようになり以来40年のファンだ。

一時ビル.エバンスのレコードを全部集めてやろうと意気込んだが、余りの多さに止めた。蒐集癖に支配されている頃は無いものがあると不安になり、何としてでも手に入れようと焦った。

そうそう長い間健全な耳で聴いている訳にもいかない最近は、気に入ったものだけ繰り返して聴いているがその枚数の実に少ない事、お客さんにリクエストされて普段聴いてないCDを聴く程度で正統的JAZZ喫茶とは言えない。

スコット.ラファロの入ったビレッジ.バンガード前後とア.シンプル.マター.オブ.コンベンションとモントルーJAZZフェスティバルの3種類に絞られ繰り返し聴く日々です...

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シリコンバレー その15

Fair ショックレー半導体研究所を飛び出した8人はフィアチャイルド.セミコンダクターを設立し、シリコントランジスターの開発に成功、ICの発明などで1万人を越える大企業に成長した。

所が上手く行き始めると自然の法則か?8人の侍の一人が欠け、また一人とゆう具合に辞めていき1968年には最後のロバート.ノイス、ゴードン.ムーアが辞めてしまい創業メンバーは居なくなった。

Ry1968年は教育研修の最後の年で、研修報告会で何を発表しようか思案していた。

当時の主力制御機器はリレー、マグネットスイッチで大きな鋳物プラントの制御はリレーが1000個くらい使われていた。まるで寿命試験みたいなモノで年がら年中ガシャコ、ガシャコと動けば寿命が尽き定期的にリレーが壊れた。壊れたリレーの箇所でプラントが千変万化の異常動作して故障の特定に時間が掛かる。

一刻一秒を争うトラブル対策は電気係の腕の見せ所で、ここで手柄を立てないと設計職で入っている為、立場が無い。

頭脳が抜けてしまったフィアチャイルド.セミコンダクターはマイクロコンピュータの開発に遅れをとり、その後の業績は振るわなかった。紆余曲折しながら現在はナショナル.セミコンダクター社の傘下で存続している。

ベル研が電話交換機をトランジスター化したからではないが(当時は世界の半導体情勢を殆ど知らなかった)リレーの破損を見ていれば、無接点化を思いつくのは当然の成り行きでここが重大な”小さな魅力的な芽”だった。ただ出来るか出来ないか分からないまま飛びつく無謀さは相変わらずだが、物事を覚えようとしたらさったと手を挙げて”やります”と宣言する事...

制御装置の無接点化が研修報告会のテーマになった事は言うまでもない。

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2008年7月17日 (木)

シリコンバレー その14

Ic1961年ゴードン.ムーアとロバート.ノイスのフェアチャイルド.セミコンダクターはICの販売に踏み切った。時間加速試験など無い時代に推定寿命も分からないまま売り出した事は大いなる冒険とも言える。

画像はセラミックパッケージを解体したもので当時のICも概ねこんな物だったんだろう。そう言えば最初に買ったフェアチャイルドのICはセラミックパッケージで、直ぐ後で買ったテキサスのICはプラスチックパッケージになっていた。

5V電源の侵入ノイズと24V電源の侵入ノイズでは信号対ノイズ比率が全く違い、尚且つ50nsecや100nsecで動作する高速ICはノイズに対しクリチカルに反応した。初めての経験で頭を抱え込んだ。

フェアチャイルド.セミコンダクターは大企業病に陥りゴードン.ムーアとロバート.ノイスは創業者でありながら会社を去る事となった。この大企業病が悪いと決め付けるのではなく、この要因により”インテル”がゴードン.ムーアとロバート.ノイスに寄って創設されるのだから半導体の歴史からしたら好ましい出来事だった、と言える。

ノイズ対策は熾烈を極め、徹夜の連続で、あ!今も何も変わっとらん。この時代からノイズのモラルが問われる時代へと入り”出さない、受けない、安全”のノイズ3原則が生まれた。

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2008年7月16日 (水)

平陸君セッション

Riku平陸君のセッションが8月4日マーカム.ホールで開催されます。T-SQUAREのキーボードプレーヤー河野啓三さんも加わり陸君の伸び々した演奏が楽しめます。

先日もモト.冬樹さんのTV番組に登場してマスコミ露出度も上がっているが、本人は至って冷静で素直、好少年と呼ぶべき中学1年生だ。

おやじ殿と話して、さっさとアメリカへ出してバークレー音楽学院卒業、ニューヨークで活躍する、と無責任にも言ってしまったが是非そうして欲しい。

なんせ家人がすっかり陸君のファンになってしまい”今度のJAZZコンサートどうよ!”と言う必要はない。勇んで馳せ参じよう、とゆう事デス。

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2008年7月15日 (火)

シリコンバレー その13

TtlicテキサスのTTL.ICを探すのが苦労するほどICの使用量は減りCPU以外わずかなICで構成すれば事足りる時代になった。

現代のように情報網が発達していなかった1950年代末にテキサス.ダラスとサンノゼで同時にICのアイディアが出て発明された事実は”偶然又は情報漏洩”ではなく時代のエネルギーが生み出した”必然”とあんぷおやじは捉える。

だがテキサスのジャック.キルビーとサンノゼ、フェアチャイルドのロバート.ノイスはICの特許で法廷闘争になった事は言うまでもない。

ひどい目にあった!TTL.ICは電源が5Vで乾電池で動作するような安全電圧でしびれる事はないが、今まで+24Vメイン電源、逆バイアスー12Vで安定に動作していたものが、外部ノイズで誤動作しまくりで、頭がしびれた。

続く...

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2008年7月11日 (金)

JAZZピアニスト青木弘武さん

Aokiマーカム.ホールのJAZZコンサートに来清して1年振りの再会だ。尊敬するピアニスト”青木弘武”さん、ものごし穏かでサービス精神旺盛、プロ根性に徹して見事!何よりも自分と聴衆にきっちり”折り合い”をつけている。

自分のやりたい事、表現したい事と聴く側の期待値が見事に歩み寄る。だがそれは決して聴衆に迎合しているのではない、垣間見せる青木節の”凄み”にそれを感ずる。

打ち上げのベアーズ.バーへピアニカを持ち込み、フォーク、ロックに合わせて楽しげに吹いて弾く”JAZZ界の嘉門達夫か財津一郎”にびっくり仰天、よう似とる!

またしても楽しいJAZZをありがとう、青木弘武さん。

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2008年7月 8日 (火)

シリコンバレー その11

Cd24以前にも登場したがニキシー管と言って数値を表示する真空管だ。岡谷電機製でこの技術があったんで後に300Bの真空管を作ることが出来た。岡谷電機の専務は大のオーディオ好きで件の300Bも専務の仕業か?その専務から頂いたクラッシックのテープは大切に保管してある。

1957年ソ連のスプートニク1号人工衛星、1961年のガガーリン少佐の有人飛行など立て続けにソ連がアメリカをリードして子供心に負けたアメリカ寄りで残念な思いをした。当時の宇宙船管制室に登場する表示機器がこのニキシー管だった。

ケネディがアポロ計画を打ち出し、ソ連にアドバンテージを取る為にシリコントランジスターの開発に拍車が掛かり、ゴードン.ムーアとロバート.ノイスの作ったフィアチャイルド社はいち早く製品化に成功し、軍などに大量納品が出来て一気に半導体メーカとしての地位を確立した。

なんでアポロ計画のアメリカが勝てたか?それはコンピュータの勝利で、言い換えればシリコンバレーの勝利とも言える。ロバート.ノイスやジャック.キルビーの作ったICによりコンピュータの小型化に成功し、成し得た勝利だった。

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LNC-2のモジュール

Lnc2問題はローパスフィルターで300HZを可変するが周波数が変わらない。ハイパス側は見事に調整できて600HZに可変した。チャンデバも良くこさえたが自作では周波数固定は当たり前で部品を交換すれば問題ない。メーカ製なんだから周波数は可変できるはずとタカを括りクレイドルに大枚叩かせた買わせてしまった。

とゆう訳でまた面倒を背負い込んでしまったが、LNC-2を研究する絶好の機会と捉え毒は皿までだから”ヤッタルカー!”と相成った。

Lnc21本業が相変わらず超多忙で深夜の作業が続く、本業も深夜作業なんだから更に深い夜とゆう事になりこの間殆ど寝てなかった。

手法は幾らでもあるが、楽をして効果を出そうと決めた。よってOPAMPでいく事にし、AD797とOPA627とOPA637から選ぶが、OPA637はユニティゲインが使えず脱落、画像とは違うがローパスがAD797、ハイパスがOPA627で決まった。

カーブだけは金田先生のゆう通り6dbに決めて迷いはない、メーカなら6dbは出来んが友人の所だからノープロブレム。昔マークレビンソンがテフロン基板を使ったと大騒ぎした事を思い出し”世界の基板屋、ナベちゃん”に相談するとセラミックでどうかと答えをもらうが、膨大な開発費?で断念、ポリミドも同様、やはりテフロンでいこう。

モジュールのピンは1mmΦのサイズでそんなもんありゃあしない、そこで銀線1mmΦを熱処理しない硬いまま使うことにした。LNC-2は完全にマスターした。

で肝心な音は?そりゃあ三保のJAZZショットバー”クレイドル”で聞くしかないね、オーナーのY井さんが”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”へパッタリ来なくなった。

やりすぎたかー、しまった客が一人減った!

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2008年7月 7日 (月)

シリコンバレー その10

Oc191958年松下電器が発売したゲルマニュウム.トランジスターで低周波増幅用、さすがにここまで古いと知らない世界で弟子のkouhei君が何処からか探してきた代物で大変貴重なトランジスターだ。型式の刻印は不滅インクのスタンプに見えて時代を窺わせる。

Oc193時の給料が7000円位の時3200円で発売していた、何とも凄い...

像提供 kouhei君

丁度その頃ベル研を退職したウイリアム.ショックレーはシリコンバレー、マウンテンビューにショックレー半導体研究所を設立してシリコントランジスターの研究を開始していた。

構造を想像するに製法は合金型アロイだと思う、ボディは銅で金メッキが施され足は鉄に金メッキだろうな。まさに真空管からトランジスターに変わる時期でスリリングな時代だった。

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2008年7月 6日 (日)

歌姫 溝口恵美子さん

Emikoだいたいがポスターを見ながら初対面の印象を探るのだが、全く違いたまげた。どこがどう違う?いや、全く違う。青木弘武ピアノトリオコンサートでの溝口恵美子さんだ。

御一行様の到着は遅れ3時少し前着いた。先ず力武誠君と硬い握手を交わす、続いて生沼邦夫君のベーシストらしい暖かい手と握手を交わす。ニコニコしながら、そしてワーとアルテックシステムにたまげる溝口恵美子さんの”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”へ初見参だ。

最後に外でタバコを吸っていた青木弘武さんが入ってきて丁寧な握手で、人格者はかくもあるべきかと何時もながらの腰の低さに頭が下がる。

力武君と何をかけようかと話し、ドラマーに敬意を表してブルーノート4003アート.ブレイーキーのMOANIN’に決めた。リー.モーガンとベニー.ゴルソンのイントロでの管のユニゾン、バッ!バッ!出た瞬間恵美子ちゃんがワーと感嘆符、その後も乗りまくり久々に”JAZZ好き”なボーカリストに会った。

近年学歴社会を反映してかJAZZ界もどこぞの大学出となるが、事JAZZに関しては演奏技術もさることながら本人のJAZZに対する情熱、人生の賭け具合が全てに優先して支配的であるべきだろう。

細い体から出る信じられない図太い声、天井知らずのハイトーン、千変万化なJAZZシンガーに清水”市”の聴衆は聞きほれ、一夜にして歌姫になった瞬間だった。

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2008年7月 5日 (土)

シリコンバレー その9

Nc白黒写真が年代を物語る。時効だから掲載させていただくが今となれば貴重な1971年の生産現場だ。トランジスターロジックではKELの小型基板1枚にフリップ.フロップがせいぜい2個入れば上出来で基板の枚数の多さ、基板間のコネクター配線の多さで頭を痛めていた。

3年前の1968年、フィアチャイルドで莫大な成功を収めたロバート.ノイスとゴードン.ムーアだったが彼等の理想には程遠く、夢を追い求めてフィアチャイルドを退社してしまった。

当然IC化に移行するが知識がなく、エレクトロニクスダイジェスト社で購入したテキサスインスツルメンツのTTLアプリケーションマニュアルがバイブルで、暇さえあれば隅々まで目を通し行間からでもノウハウを得ようと必死で独学した。そりゃあ貴方ねえー、田舎清水で真空管は結構やっている人も居たがTTLICなどまだ誰もやっていなくて聞く所も無い。

不思議なもので雰囲気は伝わってきて、フィアチャイルドはなんとなく冴えなくテキサスに勢いを感じテキサスインスツルメンツで行こうと決めた。それがゴードン.ムーア達が辞めて急激に力をなくし始めたフィアチャイルドの状況だったのだろう。

教養として文学小説など広範に読むのは結構だが、真に身に付くかどうかは別問題。経験則だが、これぞと決めた本を何十回と繰り返し読むと文体まで暗記してしまい、国語力がつく。種類、量よりどれだけ多くの感銘を受けたかが重要でたった1冊でも十分だと思うね。それがその人の聖書とゆう事になる。

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