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2008年9月30日 (火)

DP100,DP80再生プロジェクト12

Ucyu磁石付きモータ(ブラシレスdcサーボモータ)を使用したddレコードプレーヤの製品開発に5年ほど携わった。

音の良いレコードプレーヤには無理を承知で、しかし拘りがあり最終pidサーボパラメータの調整は毎回オリジナル盤マイルス.キャノンボールの”枯葉”でやった。カートリッジはシュアーのv15タイプⅢに付け替え、だからあれはサムシングエルスのブルーノートサウンド...

ddレコードプレーヤのブラシレスdcサーボモータもスロットに直接コイルを巻く集中巻が原価低減、合理化上必須で、音の良し悪しは関係なく進化してきた。当然スキューもかけ難くなってコギング、トルクリップル、振動では不利になる。そりゃあ集中巻は画像のように巻き線機をぶん回せば良いのだから安く出来る。

Dp80

左の画像はdenonのdp80巻線構造と弱磁性体アウターロータの構造でコギングレスだが、巻線はご覧のように分布巻きで後からスロットへ挿入する昔ながらの方式で工数が掛かって適わん!確かにそうだが良い音の為には譲れない所だ。

この方式で72~144スロットの扁平モータを作りあんぷおやじの超高速電流制御サーボアンプを組み合わせれば、最強のレコードプレーヤになる。

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守屋純子トリオJAZZコンサート

Moriya11月29日マーカムホール”守屋純子トリオ”JAZZコンサートのご案内です。

守屋純子さんは早稲田のハイソ出身、ドラムの小山太郎さんは5年ほどアメリカで活躍、ベースの高瀬裕さんはクラッシクのコントラバス奏者に学んでいます。

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ダリ美術館

Dariこれがダリ美術館中央にある彫像で奇想天外...でもないか、美術館の建物から全てが奇想天外でマヒしてしまい、この彫像は程度では驚かない。

スペインの片田舎フィゲレスに世界中から”変”なダリファンが集る。更にフィゲレスから1時間くらい離れたカダケスとゆう地中海に面した小さな 町は、ダリの生地でここも世界中から”変”が集る。

ルノアールが好きです、ダビンチが好きです、は普通の人だがダリが好きとなると一風変わっていると相場は決まっている。身近でダリファンは殆ど居ないが、世界中からしたら膨大な数の”変”。

現代は”変”が普通の時代かあ...

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2008年9月29日 (月)

ブラジル紀行 その21

Brasil場所は忘れてしまったがサンパウロ市内の有名なガラクタ市、先ず目に飛び込むのが街頭画家でこれが上手い、広い公園内にあらゆるガラクタ?が並びお宝の山に見えた。

特に岩石は宝石の原石から恐竜の卵の化石?まであり地球自然博物史上極めて貴重な採取品でたまげた!耳元でジョンがニセモノと囁くが、本物にしか見えない。真偽の程は...

アンモナイトの化石はゴロゴロあり大して高くはないが、変な物を買いたがるあんぷおやじに監視の目がひかり断念、残念。GTIさん訪ねてみては如何。

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2008年9月27日 (土)

大隈寿男with安富祖貴子JAZZコンサート 番外

Kimプロモータの森さんは純粋にjazzが好きで実に気の良い男だ。当然本人が呼んで来るのだから気の良いjazzミュージシャンが多く集る。

安富祖貴子さんは次のスケジュールでマネージャと先に帰ったが、大隈さん、生沼君、キムさんはjazzを聴きに”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”へ寄ってくれた。

すっかり大ファンになったe川さんの奥さんは、先ずキムさんにサインを求めるが快く応じてくれて感謝だった。このトリオのメンバーとそう長話をした訳でもないが、心の温かい人達である事が分かり心地良いjazzのフィナーレとなった。

大隈さん、生沼君、キムさん、ありがとうございました。

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ブラジル紀行 その20

Sanpブラジルはポルトゲース(ポルトガル語)でスペイン語ではない。統治されたのがポルトガル、とゆう事です。よってサンパウロの町で見たヨーロッパ風の建物はポルトガル風となる。

ジョンの会社はここから数10km離れたスザノ市だが、到着した当日は市内見学も兼ねてサンパウロで宿泊する事にした。

夜が寒くてたまげた、8月のこの時期はブラジルは真冬に当たる。

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2008年9月26日 (金)

SAE2600 remodeling NO1

Sae2600 restore=回復すると出てくるがチト違う、repair=修理でもない、remodeling=改造...これは改悪と捉えかねないが改良と決めて、この言葉でいこう。

celloはモノパワー、rdac、1MΩプリ、パフォーマンスなど原型を止めないほど改造した。パフォーマンスなんか車1台分の金額を改造しまくって、狂気と言われた。

ジェフ、クレル、なども原型を止めなかった。目的は作者に触れ回路を理解する事にあった。どれもこれも奥が深く抵抗1本の目的を理解するのにどれだけ時間を費やしたか分からない。

金田式、安井式、佐久間式、も良いが海外の天才に多く触れることで進めべき道が明快に見えてくる。

ボンジョルノのSAE2600は無理無茶の典型で、音の無茶苦茶もJAZZでは極めて魅力的で回路の解析は半分ほど終わった。今回の電源電解コンデンサ破損のトラブルで本格的な何らかの対策を痛感し、レストアではなく(部品がなくレストアは無理)リモデリングに時間を掛けて挑む。

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SAE2600修理の続き

Sae2600いやーひどい目にあった。ハム音が徐々に大きくなり居た堪れずSAE2600の1台を停止した。超多忙で停止してから2ヶ月以上が経ち、大隈さんや生沼君、ハクエイ.キムさん達が来店するので徹夜で修理した。

マイナス側の電解コンデンサ2本が容量抜け、電解液の干上がりで使いモノにならずハムが出た。横着して筐体外に電解コンデンサを取り付けイカレた電解コンデンサを端子代わりに使ったら、今度は絶縁不良で燃えた。画像右端のコンデンサ。昔の化合物は燃えると異常な臭いが出て店中に漂い、真夜中に店を開け放した。

SAE2600の電解コンデンサはメーカ名が無い、しかし手持ちを使うしかないのでサーボアンプ用の400v耐圧HCG(日立)を使った。高音はヒリつき低音はだらしないがエージングの期間待つしかない。電解コンデンサは当に寿命を終えているが、使えるもんだから使ってしまう。電源の電解コンデンサはキーパーツで交換により音は大幅に変わってしまい、古い機種の修理は電解コンデンサで行き詰る...

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2008年9月25日 (木)

大隈寿男with安富祖貴子JAZZコンサート その4

Oosumi2いやーたまげた!お名前は昔から知っていた大物ドラマーで少々こわそうな人だと思っていたが、実に優しい人で”会ってみて初めて分かる”を実感した”大隈寿男”さんでした。

この画像もe川さん提供です。

更にたまげたのはファンキードラムで小手先無用、力のドラムでjazzドラムの原点を見た。近年、学問的、学術的、分析的な技の溢れる美しいドラムが多い中で、原点のアフリカの鼓動が聞こえるドラムには懐かしさすら覚える。

あんぷおやじより5つ年上だが、全く若々しく、温厚な紳士で人物像にたまげてしまった。

そうなんです、アートブレーキーを高校生の時に見てしまい、こんな凄い音楽があったのか!の衝撃で一生が決まったそうで納得。

次回の予定も決まっていて又お会いできる。

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大隈寿男with安富祖貴子JAZZコンサート その3

Oinuma2ベーシストらしいベーシストで、清水(市)ではお馴染み人気のベーシスト”生沼邦夫”さんだ。温厚な優しい人格者で多くのミュージシャンから引っ張りダコ...ボスより仕事が多いらしい?

画像提供はe川さんです。

ソロを熱演すると”おいぬまちゃん”と多くの掛け声がかかり人気の程が覗えるが、殆どが男で生沼さん、残念!

ベースのセッティングも完ぺきで低音の低い方まで明瞭に聞こえて素晴らしい。下手なセッティングではボワボワしてしまう。

”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”へも常連さんの域でツアーに来るたびに寄って頂いて旧交を温める。次回来られるときはロン.カーターを用意しておきます。

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2008年9月24日 (水)

大隈寿男with安富祖貴子JAZZコンサート その2

Abs5プロモータの森さん曰くフツーの女の子!沖縄出身で歌が上手きゃあ”元ちとせ”さんとなるが、安富祖貴子さんもたまげるほど上手い。画像提供はjazz仲間のe川さんです。

清水(市)初登場でその歌声はコンサートホール一杯の聴衆を魅了した。素朴さ、素直さ湛え太い声と可愛らしい風貌が一致せず不思議な魅力を持ったjazzボーカリストだ。

度肝を抜かれたのは”黒い”事で、日本人で黒さを自然に出せる感性は凄い、MCも素朴さ一杯で微笑ましい。

Abs2当日はCDが売り切れで早速すみやへすっ飛んで行って買った。ハレルヤ~サマー.オブ ’86 はニューヨーク録音でニューヨークとなれば当然アバター.スタジオとゆう訳。

メンバーのドラムスにグラディ.テイトの名前があり流石ニューヨーク録音だ。スタンダードが主体でオールドjazzファンにはありがたい。

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2008年9月23日 (火)

大隈寿男with安富祖貴子JAZZコンサート その1

Kim昨日のマーカムホールjazzコンサートは人気のメンバーで早々にチケットが完売、立ち見も出来るほどだ。

プロモータ森さんがお薦めのイケメンピアニストが清水(市)に初登場でした。         その名は”ハクエイ.キム”

オーストラリアのシドニー大学音楽院で恩師マイク・ノック先生にjazzを学び、オーストラリアで青春の大半を過ごした後、日本に戻り鮮烈なjazzデビューを果たした。

テクニック抜群、ハート抜群、長身でイケメン、その上奥ゆかしく紳士、若いが随分出来た人間で大したものだ。これだけ条件が揃っちゃあ人気が出ない訳がない。演奏は丹精で瑞々しくそれでパワフル、色は”白”!

コンサート終了後”ナイス、パーフォマンス”と切り出し会話をする。好きなピアニストは?マイク.ノック、うーん知らない、ではアメリカのピアニストでは?アーマッド.ジャマル...cdは確かあったな。

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1966年 ガボール.ザボ その2

Zabo5ハンガリアンジプシーの血を引くガボール.ザボはメインストリームjazzのギターとは全く異なり、異邦人の音楽だ。ハンガリー革命でアメリカへ亡命?して自由な国で自由な音楽を、作品を、随分沢山残した。

作品の殆どがインパルスで後にゲイリー.マクファーランドと興したskyになる、インパルス時代の録音技師はあの”ルディ.バンゲルダー”でこのインパルス盤”spellbinder”はガボール.ザボの最高傑作と思う。

バンゲルダースタジオはニュージャージーでこの写真もニューヨークで撮ったものか?となると背後の2本のビルはツインタワーか?実際には1996年から建設に入ったので定かではない。

my foolish heat と autumn leaves は出色で美しいアレンジ、アドリブで非凡さが覗える。

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2008年9月21日 (日)

ブラジル紀行 その19

Brasilグアルーリョス国際空港をあとにしてサンパウロ市内に向かう。何の目的もなしに歩いている人の多い事、あんぷおやじにはその様に写った。日本じゃあ頭に旗を立てて”私は買いものよ”など目的が明快に読める。

先ず目に飛び込んできたのが延々と続くスラム街だ。少なくとも今の清水では見ることのない光景でブラジルの事情を強く反映している。

オリンピック直後のソウルでも規模は小さいが見られた、タイではあっちこっちに点在していた。

見ているつもりが見られていて、果たしてどっちが幸せなんだろうか?

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2008年9月20日 (土)

GABOR SZABO

Szabojazz raga はインパルス盤で2度目の入手になる。最初はLAのレドンドビーチにあるリサイクルレコードで9.50$で手に入れた正真正銘のオリジナル盤だった。

インパルスはオリジナルでも比較的安くてありがたいし、ましてやガボール.ザボはマニアックで決して高くはない。

このギターがギブソンのJ160Eで音色と形にほれ込み手に入れた。問題は椅子代わりに使っているエレキアンプで”TOBY”とブランド名があり、これを探そう!このアンプを使って初めてガボール.ザボの音色が出せる。

It was an amplifier that was made in Texas and it was called a Toby amp. It had two 10" speakers that came out either side of this round shape,(I think it was probably a 60-watt amp).

インターネットで調べてもテキサスで作っていた、10インチのスピーカが2個でおおよそ60Wの出力、とここまでしか分からない。

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2008年9月18日 (木)

ブラジル紀行 その18

Brasilサンパウロのグアルーリョス国際空港(Aeroporto Internacional de Guarulhos)に遂に到着だ。清水を出てから30時間近い時間が掛かり限界だった。

空港の滑走路を見て安堵の涙が滲み?未知なるブラジルの大地に期待感が膨らむ。

便名JL064...

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2008年9月13日 (土)

ブラジル紀行 その17

Brasil見えた!南米大陸を初めて目撃した映像は眼下にキラキラ光る川だった。

もう優に20時間は超えて家人もあんぷおやじも限界で、あと何時間で到着かをカウントする最中に地面が見えて、もう少しに期待が込められる。

結局移動のパワーは一緒で、高速移動ならば飛行機で負担が掛かり、船ならばゆったりして時間が掛かる分負担は少なく同じなんだろう。だが現代社会は船等と悠長な事を言ってられない。

で川は?アマゾンを見た!とゆう事にしておこう。

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2008年9月 7日 (日)

サンフランシスコ ベイブルース

Jazz サンフランシスコ.ベイ周辺でJAZZクラブを探すにはチョット苦労があった。今ではインターネットで調べれば直ぐに分かるが、当時は食事しているレストランで聞いたり、ホテルのパンフレットで調べ、ホテルマンにリコメンドを聞くが誰でも詳しい訳ではない。

ビル.エバンスで有名な”キーストン.コーナー”は時既に遅しで無くなっていた。有名所ではキム.ボールがありここへは良く行ったが有名ミュージシャンには出会っていない。80年代後半はjazzが厳しい時代だったのか凄い演奏、感動する演奏にはサンフランシスコとサンノゼでは、残念ながら遭遇していない。

このpearl’sに出演していたトリオもBGMならば、とゆう所...ギブソンのギターがつい気になり見てしまうが、Lー5CESと思うがピックアップ切り替えスイッチの位置が違いレプリカ?

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2008年9月 6日 (土)

ギブソン J160E

J160eブルースギタリストのhigasiさんが”良いギターでねー”と言いながら自在に弾きまくっていた。そのhigasiさんは国の九州へ戻られて、お店でこのギターを弾く人が居なくなった。

ガボール.ザボのインパルス時代にはこの”ギブソン J160E”の演奏が多く残さている。

音色に惹かれ追っかけてギターまでは入手できたがアンプがtobyとゆうテキサス辺りの小さなアンプメーカが作ったモノらしく、その道の専門家”ミュージック.バーンのフレッド渡辺さん”に調べてもらったがそれ以上は不明。

勿論このギブソン J160Eはネック裏に64281と刻印されてジョン.レノンが愛用して有名になった1964年製と同じ年の正真正銘のオリジナルだ。オーディオのJBL,ALTECの名機が1950年から1960年に集中したように、名機レスポールもあの1950年から1960年代だから出来た、時代の成せる業だと言える。

昔は良かった...と時々聞こえてくるが良かったのでは無く、良くしていたのだ。貧しくとも未来が見える時代であった事は間違いない。

”で、あんぷおやじーギターの腕前は?”...スマン3日坊主です!

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ブラジル紀行 その15

Brasil1 南米の何処を飛行しているか分からないが夜明けだ。これほど美しい日の出は見た事がない。右上の白い点はゴミではなく三日月だ。

ここがナスカ上空と勝手に決めて、漆黒の闇からオレンジと青のグラディエーションに変化する様を身じろぎもせず凝視していたが あ!っと思い出した。自分が空想の世界を描いていたものが現実に出現して、自分の空想力の逞しさに驚き、そして自然の人知の及ばない奥深さに深く感動した。

...感動などしてられない、あわててnikonのFM2を取り出しシャッタースピードを遅くして後は手が振れないように注意して、シャッターを切りまくった。

隣の家人は長旅で疲れ果て寝るともなく寝ていて、この壮大な自然のドラマは気が付かない。もうかなり飛行して限界だ、そろそろブラジルに近づいたか?

何度もフライトしているGTIおやじはこの光景を目撃しているのだろうか?

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2008年9月 4日 (木)

ブラジル紀行 その14

Brsil2ブラジルへは25時間のフライトでLAトランジットだ。LAの空港では給油など1時間程のウイティングでロビーにしか滞在できない。

家人のロスは初めてだがあんぷおやじは良く来ていて、ここの空気を吸った瞬間にLAに居る事を悟る。うまく表現できないが独特の空気の匂い?とでも言おうか乾いた空気感がある。

流石に旅慣れたあんぷおやじも25時間は狭い席で辟易としてくるし、飛行機に弱い家人は辛そうだ。ブラジル最初の洗礼?

GTIおやじから無事サンパウロへ到着、早速行動開始したうれしい便りが届く。”今年3回目の訪伯は片道切符で...”のくだりが決心の重さを伝える。

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2008年9月 3日 (水)

シリコンバレー その28

Point画像はベル研の点接触型トランジスターの復元モデルで、読んで字の如くエミッター,コレクターが点で接触している為不安定極まりなく量産には向かなかった。

次に考え出されたのはウイリアム.ショックレーが弟子達に特許で先を越された悔しさから発明した接合型だが、pnpの3層構造を作るには相当の苦労があったようだ。

Oc19_2OC19はショックレーが考え出した接合トランジスターのアロイ(合金)型で、松下電器初期のトランジスターだ。32v,3Aのスペックが慎ましやか。

モノの重み(重量ではない)や存在感はどうも合理化に反比例するようだ。1958年に作られたOC19には、トランジスターに対する日本人の思いが込められ、実に丁寧に作られている。ここに日本のモノ作りの原点を見た思いがした。

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2008年9月 1日 (月)

DP100,DP80再生プロジェクト11

Dp80サウンドラボのA1再生もDP100,DP80再生もいったい何時になったら出来るの、と言われてしまうが、出来たときが納期としか言いようがなく、ご容赦!

一度決めた事を諦めた事は決してなく、しかし時間が限られてきた現在は優先順位で事を運ぶしかない。

自前で好きで仕事をしていると趣味と仕事が一緒で良いねえー、と言われるが趣味と仕事が同一はイコール趣味も嫌になる事が多い、を意味する。だからどっちもどっちだね。

サイン波駆動の電圧制御でいとも容易く回ってしまい拍子抜けなのだが、それでは従前の制御方式と全く変わらず、究極のレコードプレーアとはならない。そこの創意工夫が欲しい。ワウフラの高精度化もエンコーダの高性能なものを使い更に時間軸高精度化で世界最高レベルの実現は可能だが、得てしてハイゲインは音が詰まり面白くない。ゲインが低く高精度を実現とゆう矛盾がオーディオ道の真骨頂デス。

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シリコンバレー その27

8008史実は当事者同志が存命にもかかわらず幾つかの答えがあり、それが真っ向から対立しても両方の史実が真実であった、とゆう事だろう。

1971年intel4004が完成して間もなく電卓価格戦争に巻き込まれたビジコン社は独占販売権を僅かな金額でインテルに戻す事になった。この事実をゴードン.ムーアは判断の誤りで独占販売権を与えてしまった、としている。取り戻せた事にさぞかし安堵したのだろう。

だがここに歴史上重大な意味が潜み、インテル、ビジコン社、2社とも大いなる過ちをしてしまい、その結果今日のマイコン革命が起きたわけだからそれで良かったのだろう。もしこの関係者の中にテッド.オフの考え出した”複数の命令コード(マイクロコード)を含んだ集積回路”を特許として確保したならば、どちらかの会社は巨人IBMのようになっていた?

分からないものは分からない、どうひっくり返ってもソフトは理解できずインテル4004の研究は頓挫した。基本姿勢は全て独学でやってきたが、遂に降参で社内のミニコンHITAC10の部隊に頭を下げてアッセンブラの概念を教わった。

出来てしまえばなーんだ!も未知の敵はドンキホーテの風車の如きもので、ノウハウとはそうゆう側面がある。

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