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2009年8月31日 (月)

イタリア紀行 その152 ウフィッツィ美術館

Fire34”麗しのイタリア9”紀行の最大の目的はバチカンでミケランジェロに会う事で、次なる目的はウフィッツィ美術館でボッティチェリに会う事だった。

ウフィッツィ美術館の入り口はご覧のような長蛇の列で、ここでも世界中から多くの観光客が押し寄せている。

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イタリア紀行 その151 シニョーリア広場

Fire33ヴェッキオ宮殿の左側に大きな入り口があり、何の為のポスターか分からないが、とにかくお洒落で芸術的なポスターが多い。

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イタリア紀行 その150 シニョーリア広場

Fire30ヴェッキオ宮殿見学の予定は無く宮殿前のシニョリーア広場を見学した後は、いよいよウフィツィ美術館の見学になる。

シニョリーア広場は中世フィレンツェの政治の中心とされて、広場で様々な行事があった事を意味する。

Fire31回廊は芸術性の高い彫刻で溢れて目を楽しませてくれるが、それ以上に観光客が沢山訪れ彫刻の前は人々で溢れかえっている。

Fire35シニョリーア広場にはミケランジェロのダビデ像のレプリカが置かれていたが、レプリカだからではなくミケランジェロなら”ピエタ像”となってしまい感動はない。

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2009年8月30日 (日)

現代スピーカ

Airx11開発が完了した
オーディオ.レイクサイドのトランスミッションラインタイプスピーカの力作!

ユニットは以下の通り。
トゥイータ ScanSpeak D3004/6600
ウーファー ScanSpeak 18W/8531G
キャビネット トランスミッションライン

現代スピーカユニットの開発製造(製造は中国が多い)はヨーロッパに移ってしまった。特長は非紙コーン、フェライトマグネット、ゴムエッジで能率は90db前後、表現は繊細で緻密高分解能のスピーカが多く、駆動にやや苦労してアンプにお金が掛かる。

オーディオ.レイクサイドのユニットもScanSpeakを使っているが、ヨーロッパユニットで散々変遷した挙句結局ScanSpeakに戻ってしまう。

Scn自宅天井に取り付けたスピーカもScanSpeakで、繊細極まりない音を天井から降らしてくれる。

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レス.ポール

Les2ギブソンの名器レス.ポールの作者レス・ポールさんが8月13日亡くなった、とjazz仲間から連絡が入った。

楽器の製作は本人の才能努力にプラス時代のエネルギーが存在して偶然できる事が多い。

レス.ポール1959年製は名器と言われ金額は天文学的で、製造本数も少なくバイオリンのストラディバリウスみたいなもの。

jazzギターのガボール.ザボはj-160eを使ってくれて感謝だった。弾けもせんくせしてオリジナル1964年製を手に入れたが、ザボがレス.ポール1959年製だったらえらい事だった。

ストラディバリウスは93歳?までバイオリンを作り続け天寿を全うした。レス・ポールさんも94歳の天寿を全うし名器の作者は共に長寿だった。

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イタリア紀行 その149 フィレンツェ

Fire27 ”麗しのイタリア9”は例の如く、突然ヴェッキオ宮殿が路地の間から姿を現し驚く。

ヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場とウフィツィ美術館がいよいよ姿を現す。

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イタリア紀行 その148 フィレンツェ

Fire26酒屋さんの小さな野菜売り場?で、色鮮やかな野菜が露天に並び壮大な大聖堂や名画の数々を見てきた目には、心穏やかにしてくれるチョットした風景だった。

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2009年8月29日 (土)

イタリア紀行 その147 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fio9石積み建築のドームとしては現在でも世界最大でしかも下から順番に積み上げ木枠を使わなかった、と添乗員のk下さんから説明があった。

こんな巨大なしかも剛性が十分な構造物を作る当時の建築家は凄い!

ここでは日本人の観光客による落書きが昨年報じられたが、”麗しのイタリア9”の旅のメンバー達は教養豊かな常識人で不埒な行動は全く心配なかった。

しかしイアリアの町は勿論世界遺産にまで落書きが迫り、危機的状況を目撃した。

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イタリア紀行 その146 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fio7むしろ床の大理石の文様が見事で見とれた。

Fio8大理石をミリ単位で正確に刻み埋め込んでいく。

現在ならば数値制御のカッターができるので0.何ミリ単位でも問題なく加工でき合わせられるが、この時代にたいしたもので妙に感心した。

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イタリア紀行 その145 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fio6 バチカンであのとんでもない最後の審判を見てしまい、この最後の審判は迫ってこない。

作者はジョルジョ.ヴァザーリで1500年代後半、ミケランジェロの亡くなった後に描かれた。

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2009年8月28日 (金)

音質評価

Cr評価基準が無いものを評価する訳だから難しさこの上ない。

難しいです!と上司に訴えれば”努力が足らん!”と一括されて立場がない。オーディオの醍醐味とはこの評価基準が難しい(怪しい)所にあり、数値で出ないものだからこれ幸いに言いたい事を言う。

それでは話が前に進まない、そこで画像のようなコンデンサ音質評価探査装置を作った。なーんだコンデンサをつないだだけじゃん!その通り、ややっこしくすると答えがややっこしくて単純が一番也。

答えは高価なコンデンサ=高音質とならず、高価なコンデンサを又無駄にした。

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イタリア紀行 その144 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fio5 デジタル画の原点を見たようなステンドグラス絵で実に上手く巧み、だから芸術とゆうより職人芸。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で一番感心したのがこのステンドグラスと大理石の床だった。

それにしてもこのステンドグラスの配色は美しい。

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イタリア紀行 その143 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fio2目に飛び込んだのがこの不思議で魅力的な時計。

見るからに24時間時計で1日のタイムスケジュールを分かり易くする為の時計?

時計を見ながら一体今日は何日目なのだろうか?時計はイタリアルネッサンスの素晴らしさに翻弄された非現実から、現実へ引き戻されるタイムマシン。

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2009年8月27日 (木)

Bill.Evans

Evans割烹”わかすぎ”の若旦那は定期的に料理研究で東京に出向く。出向いたついでに輸入盤cdの珍しいものを手に入れてくる。

どうゆうわけだかその珍しいcdが何時の間にか”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”で鳴っていたりする。
時々cdの中身が消えて焦るがたいてい仲間内のどこかにある。

この紙ジャケcdはBill.Evansにどれだけお金を掛けたらいいの?の典型で何枚目かのモントルーになるが音がよく試聴盤の代表で若旦那のモノ。

中身が消えてしまい紛失は困るのでアマゾンで手配したら1600円チョット、どの盤よりも音が良くて安くて...なんなんだろう?

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イタリア紀行 その142 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fio4サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の入り口で、家人が撮影した。

なんでもない写真が後で記憶を辿る貴重な資料となった。

Fio1広い空間と高い天井。

Fio3以外にもシンプルで、バチカンで絢爛豪華を見てしまうとたいていの事では驚かない。

ファサード(大聖堂の顔)から想像したドォオモの内部とはチト違う。

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イタリア紀行 その141 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fire36石作りの巨大ドームへ上がればフィレンツェの町が一望できる。

できるがが少ない自由行動の時間では体力と相談して上らず、下で十分見て回る作戦を継続中。

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2009年8月26日 (水)

イタリア紀行 その140 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fire34サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の正面中央部は完璧なシンメトリーで、その美しさに息を呑む。

Fire35ゴシック建築の極致に見え、後で調べるとこのファサード(大聖堂の顔)は19世紀に出来たものと分かり、納得。

時代はごまかしようの無い表情を持つもの。

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イタリア紀行 その139 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Fire32サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂正面に描かれた絵画は色落ちも無く表現も丹精で新しい時代と思える。

Fire33彫刻や装飾の美しさも格別で華やか、日本なら木を削り表現する所がイタリアは石を削り自在に表現する。

芸術家と職人と分けたのは近年で昔は境目が無かったのだろう。

それにしてもこの石芸術職人?は凄い。

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2009年8月25日 (火)

ホッケンハイムサーキット フランクフルト

Hock4ボスは連日の激務で流石に疲労困憊、先に大西洋を渡りLAに戻ってしまった。

あんぷおやじはハノーバーでの展示会支援も無事終え、フランクフルトへ戻ると休暇の指示が出ていた。ボスの配慮に感謝!

その休暇のおかげでフランクフルト近郊のホッケンハイムサーキットへ行く事が出来て、奇跡と遭遇する事となった。

現在のホッケンハイムサーキットは余りにも長い直線が理由で改修されたが、1996年はこの通りの直線が殆どの高速サーキットだった。

アイルトン.セナが亡くなりF1から卒業したが、きっかけはロータスのジム.クラークで画像左手に十字架の墓標があるが、1968年ここで立木に激突炎上死した。そこをメモリアルでジム.クラークカーブとして所謂シケインになる。

反対のメインスタンドへ戻る直線にはアイルトン.セナカーブがあり、セナは1994年イタリア.イモラサーキットで帰らぬ人となった。最初と最後のF1ファンだったレーサーのメモリアルカーブがあるホッケンハイムサーキットは、生涯忘れない。

そして現在、ホッケンハイムサーキットはテクニカルコースに姿を変えメモリアルカーブも既に無く、希代のF1パイロットだった2人の墓参も終えた。

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イタリア紀行 その138 フィレンツェ

Fire24サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂への入場は長蛇の列で、フィレンツェの観光シンボルである事が分かる。

礼拝堂からドォオモの広場はご覧のように多くの観光客で溢れかえり、人の多さに疲れてしまう所だがイタリアでは馴染んでしまい人疲れしない。

旅の”気分ハイ”でもなくイタリアが合っているのかも知れない。

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イタリア紀行 その137 フィレンツェ

Fire23サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にもしっかり土産物屋がある。

荘厳な大聖堂と、少々謎めいた雰囲気を否めない露天の土産物屋のコントラストが滑稽で、微笑ましい。

Fire31こうゆう露天の土産物屋が実は大好きなのだが...

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2009年8月24日 (月)

イタリア紀行 その136 フィレンツェ

Fire21フィレンツェのシンボルであるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、丹精に精緻に、あらゆる形容詞を駆使してもこの美しさは表現できない。

Fire30余りの美しさに目の焦点が合わず、呆然と見つめる。

Fire22これだけ複雑な芸術的建造物は、nasaのシステム工学にも似たマクロからミクロまで体系化された仕組みが必要で、コンピュータも計算尺もないこの時代に、凄い!

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イタリア紀行 その135 フィレンツェ

Fire19”麗しのイタリア9”は突然”それ”が現われる事で、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が出現した。

直感的に見たことがある。
イタリアで最も美しいゴシック建築とされているシエナ大聖堂に雰囲気が似ている。

手前左が礼拝堂、正面がドォオモで茶色の巨大なドームは石積み建築物では世界最大、右が鐘楼の3建築で構成されている。

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2009年8月23日 (日)

イタリア紀行 その134 フィレンツェ

Fire17フィレンツェ最初の見学はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で、町並みから巨大なドームが見える。

Fire18レンガ作りの渋い中間色の町並みに、権威ある大聖堂が何ら境界も無く存在する事が驚きだった。

イタリアではこのスタイルが多い。

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イタリア紀行 その133 フィレンツェ

Fire201980年代、シカゴのハイウエイをまたぐ格好でマックを見たのが最初で、そのスケールとハデさにたまげた。

以来馴染みとなったマックだが、イタリアでは見事に町に溶け込み、お見事!

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イタリア紀行 その132 フィレンツェ

Fire16添乗員のk下さんから、世界的に有名なレストラン”サバティーニ”でフィレンツェとミラノにあると説明を受ける。

ならば”麗しのイタリア9”の食事場所にして欲しい、この日の昼食は中華料理で、なんでイタリアで中華なのだろうか?

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2009年8月22日 (土)

イタリア紀行 その131 フィレンツェ

Fire151フィレンツェの落ち着いた町並みで見かけたポスター。

残念ながらピンボケの1枚。

これは靴をデザインしたポスターで誠に美しく、センス良いイタリアのポスターの中でも一番たまげた!

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イタリア紀行 その130 フィレンツェ

Fire12ウフィツィ美術館にガリレオ.ガリレイのポスターが。

ガリレオは科学者と宗教者のハザマで右往左往したが、最後は科学者だった。

それにしてもどのポスターもセンスが良い。

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イタリア紀行 その129 フィレンツェ

Fire11何年か前だがウフィツィ美術館の特集でベッキオ橋が紹介されていた。

橋が建物みたいで、ふーんと妙に感心して見ていた記憶がある。その橋が現実に目の前にあり、人生の奇想天外を感じた。

しかもちゃんとした解説付きで”屋根つきのベッキオ橋は、メディチ家の人々が雨でもぬれずに対岸に行ける。”

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2009年8月21日 (金)

SAE2600 remodeling NO10

Sae26001sae2600の電圧増幅段で対称差動回路になっている。

この回路では、青ドットのカップリング用電解コンデンサが音質のポイントになる。

Sae2600p直結のdcアンプでカップリングコンデンサを止めてしまえ!とゆう意見もあるが、最近はどんどん付加して表現力を増そう作戦に変わった。

付加して音楽表現が増すを取るか、どんどん直結にして音楽鮮度を取るか、これは人生観にも似て”お好きにどうぞ”だね。

電解コンデンサをフィルムコンデンサに交換し、容量と銘柄はヒアリングで決める。

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イタリア紀行 その128 フィレンツェ

Aida3ミケランジェロ広場を後にフィレンツェの町並みへ向かう。

おー!城壁にAIDAの文字が...お洒落なポスターが、目に飛び込む。

Aida2オペラは断然イタリアオペラで、もちろんレコードも結構持っている。

aidaとなればテバルディがお気に入り。

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イタリア紀行 その127 フィレンツェ

Fire11 上がシエナ、カンポ広場の市庁舎(プッブリコ宮殿)マンジャの塔で、下がヴェッキオ宮殿アルノルフォの塔となる。

シエナとフィレンツェは、トスカーナ州の県庁所在地を争った?痕跡で塔の形がよく似てしまった。

この説明はシエナで聞かされたが、フィレンツェへ来て初めて納得した。

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2009年8月20日 (木)

ギラ.ジルカさんjazzコンサート

Geila 清水(市)のマーカムホールで2回目となるjazzボーカリスト、ギラ.ジルカさんのコンサートが9月26日にある。

メンバーは、人間性もボーカルも大変素晴しいギラ.ジルカさん、ピアノは始めての吉田桂一さん、ベースはオーディオ仲間の高梨道生さん、ドラムスは中学生ドラマーのご存知平陸君です。

当日は土曜日、午後にはコンサートのメンバーが”謎めいたJAZZ喫茶AMP工房”を訪れ、jazzを聞きながらコーヒーブレークでしょう。

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イタリア紀行 その126 ミケランジェロ広場

Fire10ある種理想的な姿で暫し見とれた。

細密画の油絵には自信があり芸術的かと言われたら...?だが、素人受けする事間違いない。その上油絵はイタリアの気候風土によく合う。

そんな訳でこうゆうスタイルに憧れる。

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イタリア紀行 その125 ミケランジェロ広場

Fire8 この風景がフィレンツェの主な町並みで、世界遺産たる建造物になる。

ドォオモのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館がこの一角にまとまっている。

なんと言ってもウフィツィ美術館のサンドロ・ボッティチェッリで、バチカンの奇跡に続くと期待したのだったが...

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2009年8月19日 (水)

イタリア紀行 その124 ミケランジェロ広場

Fire9広場左手端へ来て広場全体を撮影する。

たった一つのミケランジェロのダビデ像レプリカ、眼下に広がるフィレンツェの歴史ある美しい町並み。

この広場は、これだけで世界中の人々の心を捉えて離さない。

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イタリア紀行 その123 ミケランジェロ広場

Fire4 フィレンツェへ到着すると先ずミケランジェロ広場へ行き、フィレンツェの町を一望して全体のイメージを掴ましてくれる。

Fire7_2ミケランジェロ広場といわれる所以はこのダビデ像にある。

専門家の評価にあるような古代ローマ彫刻の影響は、このダビデ像にあると解釈した。

広大な天空を背景にスクッと立つダビデ像は、どこの展示場所より素晴らしく見えた。

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2009年8月18日 (火)

イタリア紀行 その122 ミケランジェロ広場

Fire62いきなりフィレンツェの決めの1枚です。

ミケランジェロ広場からメディチ家の数々の建造物が見渡せるが、左端に位置しベッキオ橋を右ぎりぎりに入れたこの風景は”描きたいイタリア10選”に入れよう。

まるで絵の教科書通りの風景で満遍なくモチーフが存在し、それらが全て美しい。

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イタリア紀行 その121 フィレンツェ

Fire3ピサの斜塔からフィレンツェまでの移動はボルボのバス、席の広さも十分で”麗しのイタリア9”で使うバスは合格。

バスのデザインも優れているが、カラーリングやロゴがお洒落で、かなわんねー!

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イタリア紀行 その120 フィレンツェ

Pisa40ピサの斜塔を出て移動、花屋さんにサボテン、多肉植物があり日本の品種と全く同じ、物流の高速化は世界同時進行となる。

Fire2フィレンツェまで100kチョットの工程で、周囲の風景に見とれる間もなくフィレンツェが一望できるミケランジェロ広場に到着する。

Fire1勿論ダビデ像はレプリカで尚且つブロンズで緑青が吹き、いい感じではある。

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2009年8月17日 (月)

イタリア紀行 その119 ピサの斜塔

Pisa34ピサの斜塔最後に決めの1枚。

ピサの斜塔は素晴らしい建物群で”百聞は一見にしかず”の典型、また良い勉強になった。

6月25日、まだ25日だぜ!もう何週間も居るような錯覚にとらわれ、この旅の密度の濃さが凄い。

午後はフィレンツェへ向かう。

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イタリア紀行 その118 ピサの斜塔

Pisa36一回り見終えて集合場所の入り口へ向かう。

Pisa37何処でもジェェラードでここでも食べた。2.8ユーロは400円くらいで高いか、安いか。

Pisa33ここが入場した入り口。

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イタリア紀行 その117 ピサの斜塔

Pisa35 ピサの斜塔へ上った旅の仲間がいたので下から写してみた。

実はこの最上部は傾いてから垂直に建築したため下の角度とは違い、可笑しい。

”麗しのイタリア9”ツアーはピサの斜塔がパンフレットの記述によると(外観)となっていた。上るとは明記されていなくて見るだけツアーが、上れる事になって喜んだ仲間も多かった。

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イタリア紀行 その116 ピサの斜塔

Pisa32確かにローマはスリひったくりが多い街とは認識した。

北上すると治安は徐々に良くなりあやしい影も薄くなっていくような気がした。

それにこの警官、州警察と町の警察両方があると聞いたが、イタリア伊達男の白バイは最高に格好良い。イタリアにはmoto.parilla,benelli,morini,mv.agusta,ducati など名車が多い。

だがこの白バイはbmwだった。

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2009年8月16日 (日)

イタリア紀行 その115 ピサの斜塔

Pisa30_2建物の丸が真円で、当時の建築法や測定法に驚かされる。

例のごとく”麗しのイタリア9”は自由時間が十分ではなく急ぎ旅でピサの斜塔へ上る事はあきらめ、周囲を克明に記録した。

Pisa31これがピサの斜塔の入り口で、工事現場風のゴタゴタした風情が以外で”もう少しなんとかならんのねー!”

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イタリア紀行 その114 ピサの斜塔

Pisa29ここまで近づくとその大きさに圧倒される。

傾きはご覧のようにきつく傾き角度は5.5度と聞いたが、数字とはなかなか理解できないをピサの斜塔は示す。

傾かなくても”ピサの鐘楼”として後世に残ったと思える美しさデス。

ただ垂直では大小2つの球を同時に落とし、同時に着地する法則の証明を、ガリレオ、ガリレイはピサでは不可能となり伝説がややっこしくなる。

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2009年8月15日 (土)

イタリア紀行 その113 ピサの斜塔

Pisa271宇宙を背景に荘厳で美しく圧倒的な存在感!

それだけの表現では終わらないもうひとつの形容詞。

”不思議さと謎めきが広大なキャンバスいっぱいに渦巻き”しばし呆然と見とれる。

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イタリア紀行 その112 ピサの斜塔

Pisa26撮影場所は入場した門と反対方向になる。

周りのドォオモや礼拝堂が見えないこのポイントに立つと、ピサの斜塔単独でシュールリアリズムの絵になる。

この日は面白い空模様で、突然日がさしたり曇ったりの光りの変化でピサの建造物の表情が次々と変化する。

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イタリア紀行 その111 ピサの斜塔

Pisa25ピサの大聖堂(ドォオモ)の十字架交差部分になる。

長方形に断片化された自然の大理石は微妙に色が違い、それを巧みに組み合わせて各部壁面の表情を見事に作り上げる。

断片化は現代テクノロジーのデジタル量子化と同義で、こんなところにもデジタルテクノロジーの痕跡が見られる。

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2009年8月14日 (金)

イタリア紀行 その110 ピサの斜塔

Pisa28振り返れば美しいピサの礼拝堂。

ドーム屋根が茶色で胴体が大理石の白、この調和が何箇所かで見られた。

よくよく観察すると大理石は乳白色、ドームはベージュの混じった明るい茶色、共に中間色でこれが風景を柔らかくしている。

余りにも完璧な風景は”絵”には描けない、描く必要がない。

旅の栞:ホテルでは、ドライヤーは完備、歯磨き歯ブラシは無く必携。

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イタリア紀行 その109 ピサの斜塔

Pisa24ピサの大聖堂ドォオモを過ぎるとピサの斜塔が眼前いっぱいに広がる。

どう見ても倒れる寸前で、白い大理石と円筒の形状でなかったら不安感の塊になるのだが...

雲の白と美しい大理石の白は保護色の関係で重量感を消し去り、空の青は美しい大理石の白と調和してしまう。

いずれの空模様にも見事に溶け込んでしまうピサの斜塔とは、とんでもない建築物に思える。

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2009年8月13日 (木)

イタリア紀行 その108 ピサの斜塔

Pisa162”麗しのイタリア9”の特長は突然何かが起きること...

この日も日本晴れとは違い雲り時々晴れみたいな天気だったが、ドォオモの正面に来たとき雲の間から一条の光が差し込み、なんとも神々しい場面に遭遇した。

この光りも、絵描きあんぷおやじにとっては単なる偶然とは思えなかった。

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イタリア紀行 その107 ピサの斜塔

Pisa17他の建造物では墓所(カンポサント)が左手奥にある。

こちらの建物も実に美しい。

Pisa18なんてことは無いトイレの場所を確認したらこの方向になっただけで、偶然見ることができた。

Pisa19右手の四角く茶色い建物の奥がトイレで、50セントの有料。

旅の栞:ポケットにはコインの1ユーロや50セントを何個か入れて、有料トイレに備える。

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イタリア紀行 その106 ピサの斜塔

Pisa14広大な空間に十文字構造のドォオモが構え、その鐘つき堂たる鐘楼がピサの斜塔になる。

設置面積の小さい鐘楼のみが傾き、そのほかの建造物は設置面積の大きさで救われた。

地盤調査をせず?に建築するイタリア的手法は結果的に世界遺産を生み出し、幸、不幸は理論を超える。

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2009年8月12日 (水)

イタリア紀行 その105 ピサの斜塔

Pisa41全体配置図はこんな感じです。

中央のドォオモは十字架の形をして、それに礼拝堂の丸が接続されている。天使と悪魔のラングドン教授ならばこの十字架と丸から象徴学的紋章の意味合いを説明できる?

Pisa13左端のまるい礼拝堂では、定期的に音響チェックで聖歌を歌うらしいが、時間がなく断念した。

シエナのドォオモでも感じたが、白い大理石の建物は石でありながら柔らかい白蝋のような不思議な雰囲気を感じ、息を呑む。

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イタリア紀行 その104 ピサの斜塔

Pisa12 必ず現地のツアーガイドを雇う決まりがあるようで、行く先々でガイドさんが次々登場する。ここピサではサングラスの女性。

我らが添乗員のk下さんは日本の堅苦しいサラリーマンからすっかりイタリア人風になり、カラフルなファッションをルーズに着こなしお洒落。

さてピサ観光に当たり全体の説明を受ける、丸い建物が礼拝堂、奥に主たるドォモオ(大聖堂)があり、その奥にピサの斜塔がある。

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2009年8月11日 (火)

イタリア紀行 その103 ピサの斜塔

Pisa8やられたー!これだからね。

全てが仕組まれた”おったまげ”観光で、城門の向こうにドゥオモ広場が一面に広がり、いきなり来た。確かにピサの斜塔は傾き美しく輝いている。

Pisa10この落差がデジタルツアーと命名した所以。有名なピサの斜塔は、正直重きを置いていなかったが度肝を抜かれた。

余りにも美しく”麗しのイタリア9”では”最っとも美しい建物群”で写真を撮りまくった。

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イタリア紀行 その102 ピサの斜塔

Pisa4いつも通り駐車場にバスを止めピサの斜塔まで歩く。

なんと踏切があり列車が来るではないか、ミニ鉄道マニアとしたら願ってもなく撮る。

Pisa5間もなく城壁が見えてきて目的地へ近づく。

Pisa6土産物売リ場も序列があり、アフリカ出稼ぎ組みは駐車場のような末席、城門に近い所はそれなりの身分のようだ。

Pisa7添乗員のk下さんの注意は的確で露天の土産はなるべく買わないように、高いらしいが欲しいモノもある。

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イタリア紀行 その101 カンピビゼンツィオ

Pisa06月24日の宿はカンピビゼンツィオのウエストフローレンス(Hotel West Florence - Via Guido Guinizelli, 15 - )

ローマよりだいぶ良いホテルだが、田舎のど真ん中で夜な々出没する訳にもいかず、健全極まりない。

早朝散歩と洒落込むが見るところは殆ど無くで直ぐに戻る。カンピビゼンツィオと聞いてもピンとこないが、フィレンツの近く。

Pisa16月25日早朝よりカンピビゼンツィオからピサの斜塔へ向かう。途中旅の守護神”ひまわり”の巨大な畑に出会う。

Pisa2おー!見えた、美しい、ピサの斜塔が垣間見える。

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2009年8月 9日 (日)

イタリア紀行 その98 サン.ジミニヤーノ

San25あっちこっちを見られたのはラッキーだったが、時間が迫り焦りが募る。

確か入場した時のサン.ジョバンニ通りは原宿並の混雑だったが、人影がまばら、なーんかおかしい?

San28おー!やっと広い通りへ出た、ここを下ればサン・ジョバンニ門だ、と勇む。

San27_2門を出たがどうも違う?

そこで撮り貯めた写真を再生しながら絵合わせをする。見ると明らかに違う。

ハイテクのイヤホンガイドも聞こえない。

San29そうだ!遭難した時の鉄則は谷へ降りるのではなく登ることだ、と決めて高い塔を目指し上る。

間もなくチステルナ広場に復帰、写真を頼りにサン.ジョバンニ門まで下ると”麗しのイタリア9”の何時も遅い常連達の最後尾に付け、何事も無かったような風情を保つ。

間違えた場所は、少し寂しいサン.マッテオ通りとサン.マッテオ門でした。

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イタリア紀行 その97 サン.ジミニヤーノ

San21たった30分で何ができる...だが目的があり、TV世界遺産で見た小路地と小さいアーティチョーク畑、これを見ようとあやしい第6感で動く。

サッカー場の向こうに石塔が林立していい風景だ。

San22直ぐに方向が分からなくなり、地図の無い事を悔やむがもう後の祭り。

San23所が小路地はたくさんあり、どれも美しい。TV世界遺産で見た小路地とは全く違う。

San26益々深みにはまり方向は見失うが、絵になる場所に感心しきり。

San24高い塔が目印と言いながら家人と歩くが完全に方向を見失う。

少し苦労はしたが、今はプチ迷子に感謝している。通常のコースでは見られないような袋小路の写真が良く撮れた。

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2009年8月 8日 (土)

イタリア紀行 その96 サン.ジミニヤーノ

San20パルコ.デッラ.ロッカの要塞に入る。

展望台は混雑していたが、空きを待って素早く全員で上がる。

San19展望台からの360度の景色は素晴らしく見とれるが直ぐに時間となる。

添乗員のk下さんから”30分の自由行動の時間です。”と案内がある。

たった30分...

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イタリア紀行 その95 サン.ジミニヤーノ

San15我ながら傑作のツインタワーの写真。

単純な形状ながら美しいデザインは、きっと各部寸法のバランスが絶妙なのだろう。

San17 余りにもニューヨークのツインタワーにそっくりで、よもや建築家がこれを真似したのではないだろうね。

2本の塔を加算したら何処の塔よりも高い、か...

Riverこちらが今は無きニューヨーク、ツインタワーの勇士。

やっぱり参考にしたように思うが...

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2009年8月 7日 (金)

Altec 1003B

1003b迷わず1003bに決めた。

送られてきた時は厳重な木枠梱包で大きさにたまげ、瞬間後悔が走るが後戻りは出来ない。

指向性(水平/垂直)90°/35°,クロスオーバー周波数300hz,スロート径36mm,外形寸法409x965x648,重量14.5kg,4ドライバーまで取り付け可能。

クロスオーバーは当初300hzだったが、音質の良いネットワークコイルの関係で600hzに変更した。しかし人間の声の主たる周波数全域を288-16gに持たせる思いで再び300hzに挑む。

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イタリア紀行 その94 サン.ジミニヤーノ

San14チステルナ広場の先にドォオモがあり、フレスコ画を見ることができた。

流石に戸外で色褪せて渋い表情にかわってしまった。システーナ礼拝堂のようロウソクの煙で黒くはなっていないが、色は落ちる。

修復するほど予算がない?しかしこれが”凍結された時間”で丁度良いのだろう。

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イタリア紀行 その93 サン.ジミニヤーノ

San16高い塔と住居が一体となり生活が営まれている。

石作りはイタリアだから良いようなもので、高温多湿の日本には合致しない?と建築学部へ進んだ元4番ロックから意見が出た。

13世紀、14世紀、とゆうことは700年くらい前の作品で、時間の凍結は世界遺産を生み出した。

San18チステルナ広場はサン.ジミニヤーノの中心となり町の頂点でもある。プチ迷子になった時この広場を目指し事なきを得た。

楽しい旅の仲間達で一人々を鮮明に覚えている。

後姿が美人姉妹で、ローマのスリ、引ったくりに対応したファッションから、ミラノに向かう頃には華麗なファッションに変わった。

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2009年8月 6日 (木)

イタリア紀行 その92 サン.ジミニヤーノ

San13絵の基本的構図でここも描きたい風景、至る所描きたい場所ばかり。

絵を売っている人は見かけたが、ここにイーゼルを置いて油絵を描いている人は見なかった。

この風景に良く似合うのが油絵で、茶褐色の赤レンガと白っぽい多孔質の石、それに青い空、乾燥した空気、よく絵が飛ぶと思うよ。

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イタリア紀行 その91 サン.ジミニヤーノ

San12四角い石の塔が14本残っている。町が衰退したとき塔の解体費用が捻出できず、そのまま残った。

答えは短時間で出ない典型で、貧しい事も決して捨てたもんじゃあないね。

あ!その話ではない、イタリアの主な世界遺産を見てきてこの先も見るが、サン.ジミニヤーノほど絵になる町はない。

一番気に入ったチステルナ広場の風景も、絵に描くつもりのアングルで撮った。サン.ジミニヤーノに逗留して絵が描けたら...また夢か?

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イタリア紀行 その90 サン.ジミニヤーノ

San9画家が描いた絵を売っていた。

イラストに近いアクリル?水彩画?モチーフは糸杉にひまわりにトスカーナの丘陵地帯で、サン.ジミニヤーノの塔が無いのが不思議。

San19イヤホンガイドなるものを始めて使ったが便利なハイテク機器で、少しくらい離れても添乗員k下の声が届き、安心感を与える。

全員諜報機関員みたいに時々耳に手をやり、確認する。

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2009年8月 5日 (水)

イタリア紀行 その89 サン.ジミニヤーノ

San5”麗しのイタリア9”の特長は”おったまげ!”でいきなり何の前触れもなしに、とんでもないモノに出くわし腰を抜かす。

サン.ジミニヤーノもコナン.ドイルのロスト.ワールドの如く、丘陵地帯に忽然と幻の町が浮かび上がる。

よって本ツアーを”デジタル.ツアー”と命名しよう。

San6ここが主たる入り口で、南側にあるサン.ジョバンニ門。

通りの奥にサン.ジミニヤーノで一番高い塔のトッレ・グロッサが見え、即座に絵になると思った。

観光客が世界中から訪れ、原宿並みの混雑にたまげる。

San151後で分かるが北側にもサン.マッテオ門がありそこへ出てしまう。赤いドットと線がその経路でデス。

この程度の地図でも十分ですから、jtbさん用意されたら如何でしょうか。

もっとも次回行く時は、自力で詳細な地図を用意する事は間違いない。

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イタリア紀行 その88 サン.ジミニヤーノ

San11いつもどおり駐車場でバスを降り目的地まで徒歩前進する。

jtbさんがいい度胸なのは地図を渡さないことで、迷ったらどうしよう?そこはそれ、ヘンゼルとグレーテルよろしくパンをちぎり...とゆう訳にはいかず各ポイントで写真を撮る事にした。

San2実はこの写真で思わぬ助けになる事が、サン.ジミニヤーノの最後に待っていた。

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イタリア紀行 その87 サン.ジミニヤーノ

San1シエナから47kmの短い工程でサン.ジミニヤーノへ向かう。

丘陵地帯は何世紀にも渡り人々が開墾した成果で人間が作り上げたものだが、時間の経過とともに自然に回帰して美しい。

San10失われ謎めいた中世の町がいよいよ姿を現す。

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2009年8月 4日 (火)

ビリー.ホリディ

Holiday7月17日はジョン.コルトレーンとビリー.ホリディの命日、昼間はジョン.コルトレーンに浸り、夜は一人静かにビリー.ホリディを聞く。

”Songs for Distingu Lovers”アラバマに星落ちて 、だけがビリー.ホリディのアルバムでは音がよく、決めの1枚デス。

アメリカへ直接ドルを送金して45rpmレコードを手に入れた。2枚組だが片面しかカッティングされていない情熱のレコードで、このプロジェクトメンバーの思いが伝わってくる。

”Stars Fell on Alabama”を昔も今も聞き続ける...

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イタリア紀行 その86 シエナ

Sie50さてカンポ広場を出た”麗しのイタリア9”の一行は、近くのレストランへ歩いて向かう。

Sie52洒落たレストランへ到着する。

jtbさんのアンケートにも書いたが食事だけは★★★★★を上げられない。

Sie51しかし少ない予算で盛り沢山の内容が理解できる故、不満は全く無い。

所が敵もさるもので?観光の主体は”歩け歩け”で普段の何倍も歩き健全極まりなく毎度空腹となる。

よって食事は常に美味い...

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イタリア紀行 その85 カンポ広場

Campo21すっかり気に入った世界遺産シエナだが”麗しのイタリア9”は”韋駄天のイタリア9”でもあり、もう次へ移動の時間になる。

また一つ再び訪れようと決めた場所が増えた。

名残り惜しいが昼食をはさみ次なる世界遺産”サン.ジミニヤーノ”へ向かう事となった。

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イタリア紀行 その84 カンポ広場

Campo6カンポ広場を市庁舎を背景に時計回りに180度写す。左30度。

Campo790度位置、入場した入り口が見える。

Campo8150度位置、広場を取り囲む建物の色デザインは統一されて地域全体で芸術品。

Campo9_2180度位置、180度回ったが本当の素晴らしさはとても写真を分割しても伝えられず、ライブ以外に無しか...

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2009年8月 3日 (月)

サン.ピエトロ大聖堂

Pietroマタイの福音書第10章に”さて12使徒の名は次の通りである。まず、ペテロと呼ばれるシモン...”のくだりがありペテロは弟子の中の筆頭に位置する、がしかし福音書は書いていない。

そのペテロが布教活動でローマの地を訪れそして果て...そのお墓がサン.ピエトロ大聖堂の真下にある、とゆう事になっている。

2ペテロがイタリア語でpietroとなり聖ピエトロ大聖堂となる。12使徒のお墓の中では最高位の序列で、その威厳権威の基にバチカンが成立するとゆう訳デス。

付け焼刃のにわか知識を詰め込んでサン.ピエトロ大聖堂を訪れたが、腰を抜かした。薄っぺらな知識など吹き飛び、ここまで荘厳でここまで美の極致で、信仰の証とはかくも偉大な力で時代を引き止めようとするものなのか...

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イタリア紀行 その83 カンポ広場

Campo12TVの世界遺産シエナを見てから、カンポ広場で”やってやろう”と決めていた。

赤レンガをクサビ文様に組んだ広場のレンガに寝そべって、世界遺産の声を聞こう...

好天に恵まれ更に寝不足がたたり”格好良く世界遺産の声を聞く”所ではなく”うとっ~”と睡魔に襲われ、不覚!

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イタリア紀行 その82 カンポ広場

Campo4カンポ広場の中央から写す。

白い線が市庁舎から放射状に伸び赤レンガの広場を9個のブロックに分けて、この広場を更に美しくしている。

Campo1入り口にあったお洒落なお土産屋さん。思わず何か買おう...

Campo3広場全体は市庁舎に向かい緩やかな勾配を持って下っている。

この場所がカンポ広場の底になり(9分割の基点)排水溝があるが、少々ドブ臭かった。

Campo5_2市庁舎(マンジャの塔のある所)にイベントのポスターがいいデザインで思わず写した。

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2009年8月 2日 (日)

ミケランジェロ・ブオナローティ

Mic100驚異のシステーナ礼拝堂の天井画、最後の審判に続き奇跡のピエタ像でバチカンの美に心が奪われた。

ミケランジェロの時代から200年の後、作曲家タルティーニの”悪魔 のトリル”は、夢に現れた悪魔のバイオリン演奏に誘惑されて作曲したとされている。

ミケランジェロは名前の由来どおり、ミカエル(Michael)か天使(Angelo)の誘惑で天井画、最後の審判を描いたような気がする。ピエタ像では筋肉もさほど目立たず美しいバランスを保っているが、システーナ礼拝堂の天井画、最後の審判では狂気の筋肉美表現に変わった。

Mic104筋肉に異常なまでの興味を示し解剖までしたとされている。

最後の審判の皮だけになった自画像は、それらの行いの”悔い改め”の懺悔として描いたと想像する。

世紀の天才芸術家はあの時代にあって89歳の長寿をまっとうしたが、その長きに渡る苦しみは察して余りある。

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イタリア紀行 その81 カンポ広場

Campo10 ”麗しのイタリア9”はjtbさんの提供で、おおいにまじめなイタリアツアーです。

史実、学術的な事も含め観光地の説明に一生懸命、ただ聞く側が飽和状態で記憶には中々残らず、日に々忘れてしまう。

カンポの広場で添乗員さんの説明を聞く美人姉妹に、ほぼ同級生や皆さん、楽しい旅仲間達デス。

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イタリア紀行 その80 カンポ広場

Campo2カンポ広場の入り口は何箇所かあるが、我々が入ってきたこの入り口が一番大きいい。

ご覧のように観光客が大挙して押しかけ、世界一美しいカンポ広場の人気ぶりが分かる。

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イタリア紀行 その79 カンポ広場

Sie45 またやられた、これだからね!

絞り込まれた建物の間を抜けると突然見事な”カンポの広場”が広がり、たまげる。

Sie46この正面の建物が古都シエナのシンボルでカンポの広場の中心、市庁舎になる。

”古都シエナを描く”で登場したマンジャの塔はあくまでも高くそびえ、後にフィレンツェでも同じ形状を見る事になる。

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2009年8月 1日 (土)

イタリア紀行 その78 シエナ

Sie43 ほっとしてシエナのドォオモを後にする。

凄い中世の芸術には違いないのだが、寸部のスキのない重たい空間に長時間居ると身も心も疲れる。

そんな中、赤レンガの中世の町並みはことのほか優しく感じられ、元気が蘇りいよいよ”カンポの広場”を目指す。

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イタリア紀行 その77 シエナ

Sie41シエナのドォオモにはピッコロミーニ図書館とゆうのがあって、システィーナ礼拝堂みたいに壁画と天井画があった。

Sie42解説には”ピントリッキオのフレスコ画”となっている。

ルネサンスのペルージャ派の作品はよく似ていると言われ、ペルジーノ、ピントゥリッキオ、ラファエロ、は間違われる事がある。

実はここに一つの真理があり、師弟関係や一派などに属し学ぶ期間が長いと独自性が失われる恐れがある。

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