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2011年7月31日 (日)

ユタ州オーディオ奮戦記 その10 物騒なお話

M67bxxxウイルソン.オーディオの打ち合わせがコトのほか早く終わったので、米軍払い下げ品のお店へ行く事にした...ソルトレイクでの話です。

ジープの上には明らかに重機関銃の本物があるが多分動作をしないようにしている、はずと思いながらもたまげた!

機関砲の弾も火薬を抜いた物がゴロゴロあり、長さが200mmくらいのモノを何個か買い...何にするの?オブジェです。

圧巻は画像の手りゅう弾でオブジェでは最高なシロモノで、これも2個買った、とここまでは普通の話なのだがその後が普通ではなくなった。

米国国内線で移動の際に現地駐在員が、このようなウエポン(兵器、武器)はスーツケースに入れてレントゲン検査で引っかかるとヤバイから機内持ち込みで説明しよう!とゆうコトになった。

セキュリティでやおら手りゅう弾を取り出し説明しようとしたら、大騒ぎとなりこっちも腰を抜かした。結局面倒な説明となり語学不十分で断念してセキュリティへ寄付をしてきた。

9.11以前の話で良かった、9.11以降ならば間違いなく身柄拘束となる。

後で聞いたらスーツケースに入れておけば問題なかったそうな、全く粗忽宗兵衛の駐在員でした。

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2011年7月30日 (土)

CARDAS 純銅スピーカー端子

Tb1xaltecシステムのネットワークをバイワイヤリングにしたのでついでに端子をcardas純銅スピーカー端子にした。

トランジスターや球の銘球を探すのも大事だがオーディオ経路における音楽情報の欠落防止も重要で、この純銅スピーカー端子はその立役者になる。

cardasの部品はあっちこっちに増え始めてrcaプラグやジャック、これらを交換するたびに気配感がどんどん増えてエライ事になってきた。

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2011年7月28日 (木)

JAZZドラマー 横山和明君

Kaz1xx和明君がドラム担当でつぶさに見ようと一番前の席に陣取る。

和明君のおやじ殿があんぷおやじを見つけて駆け寄り、久しぶりの再会に口角泡を飛ばしてお互いにまくし立てた。

おやじ殿は成長した和明君を誇らしげに語った。

3歳から始めたjazzドラマーは、上手さもさることながら人生経験がそのドラムにjazz魂を吹き込み始めてこの先が楽しみである。

控えめな性格ながら内に秘めたる情熱は時折露出して、パカーンとハイスピードのタムに思わずのけぞる。

我が母校からも結構世界で活躍する人物が出てきたが、その母校は統合で既になくなってしまったか...

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イタリア絵画紀行 その61 コロッセオ1

Corox車窓からコロッセオが見えてきた。

前回は外回りを見学するだけだったが、阪急交通社韋駄天イタリア紀行は自慢の何でもありで、内部の見学があり期待してしまう。

イタリア絵画紀行はいよいよ最後の観光になってきたが、相変わらず雨が続くのであった。

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2011年7月26日 (火)

CARDASケーブル振動対策

Cardas2台北のカルダスパーツ正規代理店で購入したcardasケーブル(画像)の内、黒い2芯をaltec288-16gドライバースピーカケーブルとして振動対策を行った。

振動吸収素材は企業秘密とお好きにどうぞで言えないが、各自自分の持ち味で考えれば良く振動対策品が如何に音楽経路で音楽情報が消えていたかを教えてくれる。

Cardas33x毎度ながら3wayシステムのaltec288-16g中音やガウス1502高音をいじると、その帯域の音の変化よりも低音に出てきてビルエバンスのビレッジ.バンガードライブ録音のスコット.ラファロのベースが唸りを上げ始めて、腰を抜かす。

ケーブルを変えて音が変わる等はオーディオを始めた頃にまさか!と思ったが、現代はケーブル振動対策でそのまさか!が起きている。

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2011年7月23日 (土)

イタリア絵画紀行 その60 真実の口2

Cos1x映画”ローマの休日”で有名になったサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)には真実の口があり、ご覧のように観光客でごった返している。

我ら阪急旅行社韋駄天イタリア観光は寸部の時間の余裕も無い程急ぎ旅で、殆ど全部回ってくれて気持ちは分かる、分かるが還暦過ぎには足腰へくる...など思いながら真実の口が空くのをじっと待った。

Cos2xお決まりの写真撮影をして教会の内部へ見学に入る。

おー!素晴らしい、中世の香りが漂い何と魅力的な教会なのだろうか!

真実の口の賑わいから打って変わった静寂感に包まれ、心が穏やかになった。

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2011年7月22日 (金)

ユタ州オーディオ奮戦記 その9

Uirusonxこれがウイルソン.オーディオの会議室である。

以外に質素な印象を受けた、とゆうよりWATT Systemの知名度でこっちが勝手に企業のイメージを想像していたフシがある。

たまたま訪れたこの日はウイルソン.オーディオのディヴィット・ウィルソン社長が出張中でマネージャーと会談した。

持ち込んだプランは、40極のブラシレスdcサーボモータを使ったdd(ダイレクトドライブ)ターンテーブルの商品化構想であった。

力説するが反応はいまいちで、スピーカの開発販売で手一杯で興味を示さないのか?言葉の障害なのかは不明だったが、今考えればあんぷおやじの当時のターンテーブル開発力では、仮にジョイントしても世界に冠たるターンテーブルが出来たかどうかは定かでない。

あれから10年以上が過ぎて、今のターンテーブル技術ならばオーディオメーカも乗ってくるには違いないが、逆にオーディオメーカには渡したくない技術になってしまった。

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2011年7月21日 (木)

イタリア絵画紀行 その59 真実の口1

Santa1おー!見えてきた、あれがサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)で真実の口がある教会だ。

Santa21ローマの休日からは教会の雰囲気は伝わってこないので、勝手なイメージを持つが随分地味な感じの教会を感じた。

赤丸印の所に真実の口がある。

Santa3xこれは元々マンホールの蓋?とユーミンガイドさんから説明があったが、たいした芸術品でたまげた!

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2011年7月17日 (日)

ジョン.コルトレーン命日

Coltranex1967年7月17日に40歳の天命を全うした。

あれから44年が過ぎてなお、擦り切れんばかりに聴いているジョン.コルトレーンである。

戦う人間だからできたのか?
時代が天才テナープレーヤーをそうさせたのか?
ほとばしる情念が音楽の素粒子となって我が身に降りかかる!

John3ジョン.コルトレーンとジョニー.ハートマンのこのアルバムには、一関ベイシーでの大晦日ライブの後にエルビン.ジョーンズさんにサインを書いてもらい、我家の宝となった。

自分の命日になる日まで、ジョン.コルトレーンの苦悩の戦いを聴き続ける...

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2011年7月16日 (土)

Cardas ケーブル

Cardas23.11震災の時は台北へ出張中であった。翌日仕事を終えて後、cardasの正規代理店へケーブルの買出しに出かけた。

cardasの切り売りケーブルだけでも20種類くらいあり、品定めは感でしかない。

完成品のケーブルはCardas Golden Referenceだけを使い、その他はcardasの配線素材を購入して被覆や振動対策を施しpieta audioのケーブルを作る。このケーブルの音楽表現力が実に豊かで最近の進化の原動力である。

Cardas1xオーディオメーカのエンジニアに自慢げにこの台北から入手したcardasを見せたら、
あんぷおやじー、こりゃあ凄いぜ!こんなケーブル見た事が無い。
え!
このケーブルは中心の細いofc線から外周へ行くほど太いofcにして周波数通過帯をコントロールしている。

目も耳も悪くなり気がつかないコトだらけで情けないが、発想や創造力は相変わらず奇想天外で衰えを知らない。cardasとあんぷおやじ流儀のコラボレーションはしばらく続きそうである。

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イタリア絵画紀行 その58 トレビの泉

Trb0xx_2トレビの泉はお決まりのコイン投げ入れで、その後は正面右側のジェラード屋さんへ行くのもお決まりデス。

そのジェラード屋さんからトレビの泉を見下ろしたら、なんとスーパーモデル?の写真撮影をやっているではないか!

Trb2xファッショナブルでスタイリッシュで流石イタリアのモデルさんだ。

大勢の観光客が居て賑やかの中の真空地帯のようで、案外観光客が気がついていない。

プロの連中の写真撮影で気がつかれない様に無言でシャッターを切り続けた。

Trb3x十分写真を撮影した所で阪急交通社の旅仲間達にも教えてあげた。

こうゆうサプライズがあるから旅は楽しい。

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2011年7月14日 (木)

イタリア絵画紀行 その57 ヴァチカン2

Vaticxヴァチカンへ来ると何かが起きる。

前回はシスティーナ礼拝堂のカメラ撮影しまくり奇跡で、今回はラファエロのアテネの学堂に対面できた。

天候には恵まれなかったが大いなる意思に感謝しながらヴァチカンを後にした。

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2011年7月13日 (水)

ユタ州オーディオ奮戦記 その8

Wil1真っ赤なフェラーリがディヴィット・ウィルソン社長の車である。

ウイルソンオーディオの現在を調べると間違いなくユタのプロボで訪れた場所である。

Wilson Audio Specialties
2233 Mountain Vista Lane Provo, Utah 84606 USA

歴史では1991年に、ユタ州プロボの工業団地近郊に14,000平方フィートの工場を建設とあるが、思った以上に小さな会社であった。自然環境豊かなプロボの町で、訪れる客も少ないような静かな印象を受けたウイルソンオーディオだった。

勿論ご存知はWATTのWATT/Puppy Systemでスピーカメーカであったが、過去にはレコードプレーヤ開発の経緯もありレコードプレーヤプロジェクトを携え、ウイルソンオーディオへのり込んだ。

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2011年7月11日 (月)

コルトレーン命日

Colt1x1967年7月17日に芸術家としての天命(40歳)を全うして天に召された。

この時は事件で鮮明に覚えている。

この挑みかかるような目がいい。

齢を重ねるとジョン.コルトレーンの凄さが分かってきたような気がする。

今週は終日コルトレーンを流します。

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電源の重要性 その4

Celloxcelloのアニバーサリーモデル、アンコールゴールドの上に乗っている2個の筐体の1個はcelloの電源、1個はrmcフォノになる。

更に右端の金パネルの筐体は、外観にrmcフォノをコピーしたあんぷおやじ特製のイコライザアンプで内部は金田式バッテリー駆動用フォノイコライザアンプである。

バッテリー駆動のフォノイコライザは誠に綺麗な音はするが、ブルンブルンと地鳴りをするような駆動は無理でjazzにはダメか?と思っていた。

次の瞬間閃いてcelloの回路電圧はいけるので、celloのrmcフォノの代わりに金田式バッテリー駆動用フォノイコライザアンプに交換した。

おー!駆動するではないか、この時に電源が音を出しているコトに真に気付き、その後の電源開発を没頭するきっかけになった。

1995年当時のコトでもう15年も前になるのか。

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2011年7月 8日 (金)

イタリア絵画紀行 その56 ヴァチカン

Vatic0x還暦を過ぎてようやく目標が定まりヴァチカンがメッカとなってしまった。

ミケランジェロ、フラファエロなど数多の芸術家がヴァチカンで天才振りを発揮しイタリアルネッサンスを作り上げ、よってメッカなのである。

Vatic1相変わらず写真がヘボで仕方がないので、望遠で目一杯拡大してサンピエトロ大聖堂のパーツを撮影した。

Vatic2

Vatic3

Vatic4これがシスティーナ礼拝堂の外観。

Vatic5

Vatic7

Vatic6

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2011年7月 6日 (水)

イタリア絵画紀行 その55 ヴァチカン観光客

Vacx毎年世界中から1千万人を超える観光客が押し寄せる、と聞いた。

入場料は日本円で2000円ほどだから、ざっと200億円の売り上げとなり、凄い!

サンピエトロ広場はご覧のように観光客でごった返しているが、我ら阪急交通社ツアー客も含め多くは異教徒である。

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2011年7月 3日 (日)

イタリア絵画紀行 その54 天使と悪魔2

Sp1xラファエロの墓の次はヴァチカンで、ラングドン教授等はサンピエトロ広場に急行するが、今一歩で間に合わなかった。

サンピエトロ大聖堂の見学を終えサンピエトロ広場に出てきた。家人と噴水の周りで”レリーフ”を探した。

上の画像が”レリーフ”で天使と悪魔に登場する風のシンボルである。

Sp2xあったー!こちらが本物の”レリーフ”で顔つきが随分と違う。

これもヴァチカンに睨まれて似て非なるモノとして登場させたのだろうか?

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2011年7月 2日 (土)

イタリア絵画紀行 その53 サンピエトロ大聖堂

Pietro2xミラノから入り最終目的地はローマで、完全晴天など1日も無くヴァチカンでは雨こそ降らなかったがどんよりと曇り、そのせいか観光客も前回ほど多くは無かった。

中央にミケランジェロ設計の大ドーム、右上部の地味な建造物はコンクラーベが行われミケランジェロの最後の審判のあるシスティーナ礼拝堂、そして眼前がベルニーニ設計のサンピエトロ広場となる。

ここに立つ度に、イタリアルネッサンス期からバロック期にかけて文明文化が重金属のように密度が濃く重く、そして堅牢だったと思い知らされる、がしかし時代背景はローマカトリックが揺らぎ始めた危機的状況にあった。

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2011年7月 1日 (金)

イタリア絵画紀行 その52 天使と悪魔1

Peterox頭上がベルニーニのバルダッキーノで、この階段を下りていくと最終的には聖ペテロの墓がある?、と天使と悪魔ではなっていた。

”あのー、天使と悪魔の撮影に、このサンピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂をバチカンが良く許可を出しましたね?”と聞くと、

美術史専攻のガイドさんが、
”許可どころかバチカンにかなり睨まれたようで、映画は殆どコンピュータグラフィックだったようです。”と説明してくれた。

納得はしたがどう見てもサンピエトロやシスティーナで実写したとしか思えなかった。このバルダッキーノの階段下でカメルレンゴが焼身自殺する場面があり、腕を伸ばして撮影した。

この先も天使と悪魔の現実非現実を探る事になった...

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