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2014年7月30日 (水)

コルトレーンジャズ

Coltampxxコルトレーンジャズは観賞用的娯楽的ジャズに非ずで、芸術の世界へと深く々踏み込んでしまった。ベラスケスやゴヤに会うにはプラド美術館へ行かねばならず、スペインのマドリッドまでの旅費はそれなりに掛かるが、絵画の場合はまだいい。コルトレーンに会うには大金(家1軒分)を投じても全くお手上げで、自前でコルトレーンオーディオ装置を作らねばならない。おまけに揺るぎない覚悟と人生の大半を費やす時間が必要なのだ。

Medx1961年から始まるインパルス時代のコルトレーンは死とゆう絶対状態に進路をとり、トレーンの愛称通り全力でひた走った。アセッションやメディテイションを聴くがいい、これらの魂の叫びは娯楽的心地よいjazzからかけ離れて、ゴヤの黒い絵の時代のような重苦しさに包まれ思わず絶句する。Ascensionx 既に純粋jazz状態を脱して1965年のコルトレーンは、時代が、芸術が、音楽が、jazzが、テクノロジーが、進化したはずの現代をも超越している。アセッションとメディテイションをして、”コルトレーンを聴くな!”と評論されたりしたが、何ともプアーな感性力だな。

Assxそのアセッションだがスペースを音の粒で埋め尽くしてしまい、もうこれ以上表現のしようが無い状態をコルトレーンは作り出してしまった。オレンジ盤のレコード溝は通常のjazzとは違い全周に渡りすれたように見える。

絵画で例えればモナリザの空気遠近法の背景を遠近法を無視してオブジェクトを描き詰めた状態で、鑑賞すれば心穏やかでは居られなくなる。

このスペースを埋め尽くした音の塊を聴いてしまうと、コルトレーンバラードがお茶漬けサラサラになるのだから不思議だ。録音は素晴らしくコルトレーンもこれ以上やることが無いを予感させるし、jazzサウンドの鮮度とエネルギーが衰え始める前夜を思わせる。”コルトレーンを聴くな!”ではなくて”アセッションを聴け!”と言いたいが、オリジナル盤とそれなりのオーディオが必須、手持ちはレアなエディション1でした。

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