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2019年9月 7日 (土)

音色力学 空前絶後の音

09071音色力学における空前絶後の音とはコルトレーンの「アセッション」で、空前絶後過ぎて理解できない御仁は「歴史的駄作」と悪態をつく。抽象画が嫌いな理由は、理屈先行の画家でない評論家モドキが突然絵の具を投げつけたら偶然抽象画が出来てしまい、同僚の評論家達は「偶然美」などと高評価だったりする。こっちは嫌いなデッサンもコツコツやり真面目に描いているから、絵も描けないヤツが何だ!となる。その点jazzは良い、音だけ出てサックスをデタラメにプカプカ吹いても誰も前衛jazzとは呼ばない。ここが音楽と絵画の決定的な違いなのだ。「アセッション」は音の洪水かも知れないが、決してデタラメに音を投げつけたりしていない。歴史的駄作ではなくて歴史的問題作で、コルトレーンは発売直後ボブ・シールに「これは余り出来が良くない」と言った。「テイク1を選んだのはお主だろうが」とボブ・シールが反論すると「スマン、テイク2にしてもらえないだろうか」かくして第2版の登場となり、たいていは第2版になるが、所有lpは第1版(Edition 1)でしかもmonauralのお宝なのだ。

09074メンバーは前衛的なコルトレーンの友人たちで構成されているから空前絶後の音になった。感覚とは進化するもので、先ずは聴く耳を持つこと。これを最初に聴いたのは1970年代だったが、「クル・セ・ママ」がどうやら聴けるレベルに感覚がなった時に、この「アセッション」の登場は更なる感覚の進化を要求された。今でもはっきり思い出せるのが「アセッション」を聴いた後の「クル・セ・ママ」はお茶漬けサラサラに聴こえたコトで、その感覚は今でも続いている。

09073フランス文学者の中条省平さんが「阿部薫」はコルトレーンの親戚みたいなものだと言った、い~や、言っちゃあいないがそう聞こえた。コルトレーンの親戚みたいなjazzミュージシャンは率先して聴くようにしている。その典型がエリック・ドルフィで、コルトレーンはエリック亡きあと遺品のフルートで良く演奏するようになった。だからエリックには感謝して聴く。この度新たに親戚のような「阿部薫」が加わり、「アセッション」を聴く感覚にも似たものを要求される。

09072空前絶後の音はベイシーの菅原さんが「阿部薫 1949-1978」に寄稿された短文で、相変わらずの名調子。この空前絶後の音の文章で同感したのが「60年代とは一説には1950年代の中期から1970年代の初頭を指している」で、阿部薫は1970年代初めに2度来ているが、思い出はセピア色で1960年代の出来事にしか思えない(正確には画像を読まれたし)...新東名上りの新静岡saのカフェ・タリーズで、まあまあ旨いアイスコーヒーを飲みながら、家人に阿部薫の菅原さんの寄稿文を話すと「あら素敵、菅原さんの文章は音色が良いのね」...音色の良い文章とは!音色力学をシロウトにやられた。

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