2012年11月17日 (土)

アナログf1マシン

Jimx画像は1965年ロータス33、ジム.クラークドライブと同形のf1マシンのインパネ。

マシンの仕様は以下の通り。
Configuration  Coventry Climax FWMV 90º V8 
Construction  aluminium alloy block and head 
Displacement  1.495 liter
Bore / Stroke  67.9 mm / 51.6 mm   
Compression  11.5:1
Valvetrain  2 valves / cylinder, DOHC 
Fuel feed  Lucas Fuel Injection 
Power  205 bhp / 153 KW

1500ccで205馬力しかなく現在の数百馬力からすればのんびりしたアナログエンジンで、且つインパネもアナログで人車一体の時代だったと言える。

1965年は、まだアナログレコードの時代でjazzはそろそろハイブリッドへ向かい、ひたすら科学の未来にばら色を見てデジタルへ移行するチョット前の、アナログf1マシンでした。

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2012年5月13日 (日)

ジム.クラーク

Jim3xwikipediaより:「ジム・クラーク(James  Clark Jr. OBE, 1936年3月4日 - 1968年4月7日)はスコットランド出身のレーサー。フライング・スコットの異名を持つ。
F1の歴史において最も優れたドライバーのひとりに数えられ、天性の速さの資質においてアイルトン・セナと並び称されている。

1968年、第2戦スペインGPまでのインターバルの間の4月7日にドイツのホッケンハイムで開催されたF2レースにロータス48で出場したクラークは、突然コースアウトして木に激突し、事故死した。」

ホッケンハイムへ訪れたのは1996年の4月24日のコトで、ジム.クラークが亡くなってから28年が過ぎて更に現在44年が過ぎてしまった。

ジム.クラークの名前を覚えている人など団塊くらいのモータスポーツファンにしか居ないだろうし、風化はどんどん進みやがて歴史上の伝記伝説となる。

この時期あのひんやりして澄んだ空気のホッケンハイムサーキットを、ジム.クラークと共に思い出す。

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2010年11月28日 (日)

アイルトン.セナ 音速の彼方へ 了

Senna_2ジョンがドライブしながら車窓越しにゆびを指し”あれが世界最大のスラム街”と言う。

続けて”サンパウロ市役所へ寄って書類を届けてからセナのお墓参りに行きます!”と言った。

1994年の5月1日にイタリア.イモラサーキットで天に召されてから2年チョット後に墓参りを実現したから”遅くなりスマン”とは言わなかった。

ジョンとカミさんのルシアに家人とあんぷおやじ、無言で花を手向け冥福を祈った。

映画館は珍事と言えた。
通常movix清水の上映ではカップルが殆どでいつも家人とカップルで行く。”アイルトン.セナ 音速の彼方へ”は殆ど1人の男性客である。年齢は30代?が殆ど、若者も年寄りも居ない、セナファンの世代を如実に表していた。早朝から熱心なセナファンが訪れ”清水(市)も捨てたもんじゃあないね!”と意を強くした。

将来イタリア長逗留を考えているのでイタリア.ロマーニャ州イモラ市のイモラサーキットへ、引退したモータスポーツファン最後のご奉公で訪ねるつもりである。

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アイルトン.セナ 音速の彼方へ

Senna義理堅いので封切り日11月27日の朝一番9:50の上映を見てきた。

素晴らしい映画でまるでセナの死を予感してか、ドラマ仕立てで映像を追っていたようなドキュメンタリー映画だった。

セナが戦っていたのはf1レースを作り出したヨーロッパの貴族社会とブラジルの貧困で、それを映画ではセナの言葉で”金と政治”と表現していた。

明らかにf1は貴族社会のスポーツであり、不利となるや次々とレギュレーションを変更してきた。ホンダのターボ然り、アクティブサスが禁止されなかったらセナの事故は無かった...

もう一方母国ブラジルは貧困にあえいで、救いようのないスラム街の子供達に手を差し伸べていた。ブラジル人が世界に誇れる数少ない1つがセナだった。

孤高のf1戦士は日本の武士にも似て不調のウィリアムズルノーを駆ってイタリア.イモラサーキットを駆け抜け、天に召された。

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2010年10月12日 (火)

アイルトン・セナ 音速の彼方へ その3

Senna1ハリウッド映画を観に家人とエスパルスプラザへ出向く。面白かったが直ぐに忘れた映画だった。

そこで ”音速の彼方へ”のパンフレットを見つけ何枚か頂いてきた。

Senna2勿論お店に張りprの一役を担おう。

”史上最も偉大なドライバー”と大事故から生還したニキ.ラウダは表現する。

生きていれば50歳だった...

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2010年10月 8日 (金)

アイルトン・セナ 音速の彼方へ その2

Senna2movix清水では上映開始が11月27日となった。

手張りの日付修正が痛々しいが、清水での扱いはそうゆう事なのだ。

ロータスホンダの1000馬力ターボ車時代からマクラーレンホンダの時代がセナの黄金期だった。

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2010年10月 2日 (土)

アイルトン・セナ 音速の彼方へ

Senna”アイルトン・セナ 音速の彼方へ”
セナのドキュメンタリー映画が2010年10月8日に公開されます。

注:清水movixの公開予定は11月27日。

16年が過ぎたと報じられ、とゆう事はブラジルへ墓参りをしてから14年が過ぎた事になる。

ただ時間は過ぎて、しかし風化させたくはない。

ジム.クラークに風戸裕、そしてアルトン.セナ、魅力的な人物は短命で燃え尽きそして”音速の彼方へ”と去っていった...

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2010年9月14日 (火)

ジム.クラーク物語 総集編

Clark11 ホッケンハイムサーキットの最初の長いストレートで立ち木に激突して天に召されたジムクラークの墓が”その場所にある”と、風の便りに聞いて訪れた。

Clark2親切な花屋さんにアレンジしてもらった花を墓標に捧げ、周りの草取りをして我家のお墓と同じように綺麗にした。

Jim4_2所がこの墓標は本当のお墓ではなかった。

冷静に考えればお墓のはずはないのだが、はるばるホッケンハイムまで来たのだからお墓と決めた。

Jim2こちらが本当のお墓で随分立派、海外ではf1レーサーは英雄で立派なお墓は当然と言える。

born 4.3.’36

dide 7.4. ’68

32歳没

Jim1ならばホッケンハイムは...ジム・クラーク記念碑と標記されていた。

最新の画像を見ると当時より随分立派になり、しかし墓標と勘違いたジム・クラーク記念碑は当時のままで周辺がきちんと整備された。

Jim3f1レースの合間に参戦したf2レースだった。当時はシートベルトがなく激突してレーシングカーから飛び出してしまった。

Clark3ホッケンハイムサーキットは改修が行われてしまい、昔のジム.クラーク記念碑を写した貴重な写真となってしまった。

Clark41親切な花屋さんも、n番ポストの熱き心を持ったレース関係者も、最後に”虹”で登場してくれたジム.クラークも、彼らの事は生涯忘れない...

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2010年8月11日 (水)

アイルトン.セナのお墓

Senna南半球は気候が日本の逆でブラジルは8月が冬になる。

冬と言ってもそう寒くはないが、この日は氷雨と感ずるほどの寒さで手がかじかんだ。

広大な墓地の一角に地面に銅板が埋め込まれて墓標となっている。英雄の墓標なのだが、周りの人々と同じ墓標で何を意味しているのだろうか?

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2010年7月16日 (金)

アイルトン.セナ物語 その3

Sennaあ!っと驚く。

アイルトン.セナの洗礼証明書が添付されて遺族の強い思いと、ブラジルはキリスト教国であることに気付かされる。

レーシングカートが登竜門でセナもそこからのスタートだった。

相棒の板金屋に”星野が来るから”と誘われてレーシングカートのサーキットへ行った事がある。はじめて見る速度にたまげたが、星野さんは抜きん出て上手かった。

1977年 ウルグアイとあり、南米カート選手権なのだろうか?

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